1.神の選びと民の背き


・モーセは死ぬ前に、民の為に歌を歌った。それは人々が覚え、日々口ずさむためのものであった。最初に、主が救いの岩である事を覚えよとモーセは教えるが、次にはお前たちはこの主を裏切ったと言われている。明らかに国の滅びが前提にされており、バビロン捕囚後の歌であろう。
−申命記32:4-6「主は岩、その御業は完全で、その道はことごとく正しい。真実の神で偽りなく、正しくてまっすぐな方。不正を好む曲がった世代はしかし、神を離れ、その傷ゆえに、もはや神の子らではない」。
・7節から、主がどのようにして、イスラエルを御自分の民として選ばれたかが書かれる。
−申命記32:9-10「主に割り当てられたのはその民、ヤコブが主に定められた嗣業。主は荒れ野で彼を見いだし、獣のほえる不毛の地でこれを見つけ、これを囲い、いたわり、御自分のひとみのように守られた」。
・主は彼らをエジプトから救い出し、保護され、養われた。荒野においては主の恵みなしに生きていけない。
−申命記32:11-13「鷲が巣を揺り動かし、雛の上を飛びかけり、羽を広げて捕らえ、翼に乗せて運ぶように。・・・主はこれを丘陵の地に導き上り、野の作物で養い、岩から野蜜を、硬い岩から油を得させられた」。
・そして、約束の地、乳と蜜の流れる地へ導きいれられた。
−申命記32:14「彼らは、牛の凝乳、羊の乳、雄羊の脂身、バシャンの雄牛と雄山羊、極上の小麦を与えられ、深紅のぶどう酒、泡立つ酒を飲んだ」。
・豊かになると彼らは主を忘れた。彼らは「主とは誰か、私こそ主ではないか」と言い始める。
−申命記32:15-18「エシュルンはしかし、肥えると足でけった。お前は肥え太ると、かたくなになり、造り主なる神を捨て、救いの岩を侮った。彼らは他の神々に心を寄せ、主にねたみを起こさせ、いとうべきことを行って、主を怒らせた。・・・お前は自分を産み出した岩を思わず、産みの苦しみをされた神を忘れた」。
・人は豊かになると自己の栄達のみを求めて、他者を忘れる。何故、神が私たちを選ばれたのかを思わない。
−エゼキエル34:2-5「災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。お前たちは乳を飲み、羊毛を身にまとい、肥えた動物を屠るが、群れを養おうとはしない。お前たちは弱いものを強めず、病めるものをいやさず、傷ついたものを包んでやらなかった。また、追われたものを連れ戻さず、失われたものを探し求めず、かえって力ずくで、苛酷に群れを支配した。彼らは飼う者がいないので散らされ、あらゆる野の獣の餌食となり、ちりぢりになった」。


2.神の裁きと赦し

・このような民に神の裁きが下る。神ならぬものを拝んだ故に、神の民でないものたちが、民を苦しめる鞭となる。主はアッシリヤやバビロニアを用いて、イスラエルを打たれる。
−申命記32:21-25「彼らは神ならぬものをもって、私のねたみを引き起こし、虚しいものをもって、私の怒りを燃えたたせた。それゆえ、私は民ならぬ者をもって、彼らのねたみを引き起こし、愚かな国をもって、彼らの怒りを燃えたたせる。・・・私は、彼らに災いを加え、私の矢を彼らに向かって射尽くすであろう。彼らは飢えてやせ衰え、熱病と激しい病魔のために弱る。私は野獣の牙を、地を這うものの猛毒と共に彼らに送る。外では剣が命を奪い、家には恐れがあって、若い男と女、乳飲み子と白髪の者を共に襲う」。
・神はしかし、民を滅ぼし尽くされない。力が失せ、頼るものが無くなった時、神は彼らを再び起こされる。
−申命記32:36-39「主は御自分の民の裁きを行い、僕らを力づけられる。主が見られるからである。彼らの力がうせ去り、未成年者も成人した者もいなくなったのを。・・・私のほかに神はない。私は殺し、また生かす。私は傷つけ、またいやす。わが手を逃れうる者は、一人もない」。
・救いはかつての征服者が放逐され、イスラエルが起こされる形で為される。
−申命記32:41-42「きらめく剣を研ぎ、手に裁きを握るとき、私は苦しめる者に報復し、私を憎む者に報いる。私の矢を血に酔わせ、私の剣に肉を食らわせる。殺された者と捕らえられた者の血を飲ませ、髪を伸ばした敵の首領の肉を食らわせる」。
・主はイスラエルを回復される。正義はなされる。裁きこそ救いなのだ。この信仰が旧約を貫いている。
−汽汽2:6-8「主は命を絶ち、また命を与え、陰府に下し、また引き上げてくださる。主は貧しくし、また富ませ、低くし、また高めてくださる。弱い者を塵の中から立ち上がらせ、貧しい者を芥の中から高く上げ、高貴な者と共に座に着かせ、栄光の座を嗣業としてお与えになる。大地のもろもろの柱は主のもの、主は世界をそれらの上に据えられた」。