すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  申命記(完)  >  2005年11月23日祈祷会(申命記29章、契約の再締結)

1.契約の再締結



・申命記は約束の地を前にしたモーセの言葉を編集したものであるが、その編集は数百年にわたって為されている。その間、民は、約束の地での建国・王国の繁栄と分裂・北イスラエルの滅亡・南ユダの滅亡を見てきた。最後の編集はバビロン捕囚時代と言われている。29:21以下は国の滅亡・異国への捕囚を前提にしている。
-申命記29:21-23「後の世代、あなたたちの後に来る子孫も遠くの地から来る外国人も、主がこの国に下された災害と病を見て言うであろう。また、全土は硫黄と塩で焼けただれ、種は蒔かれず、芽は出ず、草一本生えず、主が激しく怒って覆されたソドム、ゴモラ、アドマ、ツェボイムの惨状と同じなので、国々の民はこぞって言うであろう『なぜ主は、この国にこのようなことをなさったのか。どうしてこのように激しく怒りを燃やされたのか』」。
・28:69ではこの契約はモアブで結ばれたものであり、ホレブ(シナイ)での契約とは異なると言われている。
-申命記28:69「これから述べるのは、主が、ホレブで彼らと結ばれた契約とは別にモアブの地でモーセに命じられてイスラエルの人々と結ばせた契約の言葉である」。
・主はシナイで民と契約を結ばれ、律法を与えられた。その後、イスラエルは荒野を経てモアブの地に来た。ここでまた契約を結ぶ。何故シナイ契約だけでは駄目なのか。それは自分たちが契約を守ることが出来ず、そのために国が滅ぼされたから新しい契約を結ぶとの悔い改めの故である。
-申命記29:24-27「彼らの先祖の神、主がエジプトの国から彼らを導き出されたとき結ばれた契約を、彼らが捨て、他の神々のもとに行って仕え、彼らの知らなかった、分け与えられたこともない神々にひれ伏したからである。主の怒りはそれゆえ、この国に向かって燃え、この書に記されている呪いがことごとく臨んだのである。主は激しい怒りと大いなる憤りをもって彼らを大地から抜き取り、他国に投げ捨てられ今日のようにされた」。
・私たちは罪を犯した。それ故に国が滅びた。しかし、これで終わりなのではない。主は私たちと再び契約を結んで下さる。だから、後の子孫であるバビロンで苦しむ民よ、新しく契約を結べと記者は呼びかける。
-申命記29:13-14「私はあなたたちとだけ、呪いの誓いを伴うこの契約を結ぶのではなく、今日、ここで、我々の神、主の御前に我々と共に立っている者とも、今日、ここに我々と共にいない者とも結ぶのである」。



2.祝福と呪い


・モアブ契約はヒッタイトやアッシリアの宗主契約の形を取る。強国の王が弱国の王と結ぶ臣従契約である。そこにおいて最大の罪は従事者の反逆だ。神に対する反逆、私たちはそれを犯したのだという叫びがここにある。
-申命記29:15-19「我々がエジプトの国に留まっていたことも、国々の間を通って来たことも、あなたたちは、自ら通って来たので、よく知っている。あなたたちは、彼らが木や石、銀や金で造られた憎むべき偶像を持っているのを見て来た。今日、心変わりして、我々の神、主に背き、これらの国々の神々のもとに行って仕えるような男、女、家族、部族があなたたちの間にあってはならない。あなたたちの中に、毒草や苦よもぎを生ずる根があってはならない。・・・主はその者を決して赦そうとはされない。そのときこそ、主の怒りとねたみが燃え上がり、この書に記されている呪いの誓いがすべてその者にのしかかり、主はその名を天の下から消し去られる」。
・我々は背いた。だから、このような国の滅亡を見た。しかし、神は赦してくださる、私たちを滅ぼし尽くすことは為されない。そのような信仰が申命記29-30章の中にある。
-申命記30:1-3「私があなたの前に置いた祝福と呪い、これらのことがすべてあなたに臨み、あなたが、あなたの神、主によって追いやられたすべての国々で、それを思い起こし、あなたの神、主のもとに立ち帰り、私が今日命じるとおり、あなたの子らと共に、心を尽くし、魂を尽くして御声に聞き従うならば、あなたの神、主はあなたの運命を回復し、あなたを憐れみ、あなたの神、主が追い散らされたすべての民の中から再び集めてくださる」。
・それはエレミヤの信仰と同じだ。信仰者は底の底で神に叫ぶことが赦されている。
-哀歌3:31-33「主は、決してあなたをいつまでも捨て置かれはしない。主の慈しみは深く、懲らしめても、また憐れんでくださる。人の子らを苦しめ悩ますことがあっても、それが御心なのではない」。
・だから改めて言う「主の戒めを守れ、主の戒めを心の板に書け」。
-申命記29:28「隠されている事柄は、我らの神、主のもとにある。しかし、啓示されたことは、我々と我々の子孫のもとにとこしえに託されており、この律法の言葉をすべて行うことである」。
・この戒めの言葉は私たちにも語られている。私たちも「聞け、従え」と求められている。
-競灰螢鵐3:3「あなたがたは、キリストがわたしたちを用いてお書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です」。
プリンタ用画面
友達に伝える
前
2005年11月9日祈祷会(申命記28章、祝福と呪い)
カテゴリートップ
申命記(完)
次
2005年11月30日祈祷会(申命記30章、悔い改めて帰れ)