すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  申命記(完)  >  2005年8月3日祈祷会(申命記15章、貧しい人に手を閉じるな)

1.解放のときとしての安息

・申命記15章は7年目ごとの安息年毎に負債を免除せよと命じる。
−申命記15:1-2「七年目ごとに負債を免除しなさい。・・・だれでも隣人に貸した者は皆、負債を免除しなければならない。同胞である隣人から取り立ててはならない。主が負債の免除の布告をされたからである」。
・安息年の規定は元々7年目ごとに土地を休ませる制度であった。それは地力を回復させるためと、収穫しないことによって貧しいものに食物を与えることの双方の意味があった。隣人への配慮がここにある。
−出エジプト記23:10-11「あなたは六年の間、自分の土地に種を蒔き、産物を取り入れなさい。しかし、七年目には、それを休ませて、休閑地としなければならない。あなたの民の乏しい者が食べ、残りを野の獣に食べさせるがよい。ぶどう畑、オリーブ畑の場合も同じようにしなければならない」。
・七日目ごとの安息日の規定も、奴隷や寄留者が休めるようにとの規定である。それは隣人のための規定である。
−出エジプト記23:12「あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめねばならない。それは、あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである」。
・安息規定の根底には隣人に対する関心がある。あなたはエジプトの地で奴隷であり、休むことが出来なかった。主があなたを救われて休日を与えられたのだから、あなたも隣人を休ませよと命じられている。
−申命記15:15「エジプトの国で奴隷であったあなたを、あなたの神、主が救い出されたことを思い起こしなさい。それゆえ、私は今日、このことを命じるのである」。
・7年目ごとの奴隷解放も同じである。経済的に行き詰って身を売らざるを得なかった奴隷を憐れみ、彼にやり直しの機会を与えよと言われている。
−申命記15:12-14「同胞のヘブライ人の男あるいは女が、あなたのところに売られて来て、六年間奴隷として仕えたならば、七年目には自由の身としてあなたのもとを去らせねばならない。自由の身としてあなたのもとを去らせるときは、何も持たずに去らせてはならない。あなたの羊の群れと麦打ち場と酒ぶねから惜しみなく贈り物を与えなさい。それはあなたの神、主が祝福されたものだから、彼に与えなさい」。
・どのような社会になっても貧しい人はいる。あなたは彼らに手を開け、手を閉じてはいけないと命じられる。
−申命記15:11「この国から貧しい者がいなくなることはないであろう。それゆえ、私はあなたに命じる。この国に住む同胞のうち、生活に苦しむ貧しい者に手を大きく開きなさい」。


2.この規定の意味するもの


・戒めが与えられても人はそれを守らない。自分の損になることはしないからだ。
−申命記15:8-9「彼に手を大きく開いて、必要とするものを十分に貸し与えなさい。『七年目の負債免除の年が近づいた』と、よこしまな考えを持って、貧しい同胞を見捨て、物を断ることのないように注意しなさい。その同胞があなたを主に訴えるならば、あなたは罪に問われよう」。
・7年目ごとの負債の免除は実際に法律化された。しかし、誰も守らなかった。
−エレミヤ34:13-16「イスラエルの神、主はこう言われる。私は、奴隷の家エジプトの国からあなたたちの先祖を導き出した日に、彼らと契約を結んで命じた。だれでも、同胞であるヘブライ人が身を売って六年間、あなたのために働いたなら、七年目には自由の身として、あなたのもとから去らせなければならない、と。ところが、お前たちの先祖は私に聞き従わず、耳を傾けようとしなかった。しかし今日、お前たちは心を入れ替えて、私の正しいと思うことを行った。お前たちは皆、隣人に解放を宣言し、私の名で呼ばれる神殿において、私の前に契約を結んだ。ところがお前たちは、またもや、態度を変えて私の名を汚した。彼らの望みどおり自由の身として去らせた男女の奴隷を再び強制して奴隷の身分としている」。
・故にイエスの十字架が必要だった。イエスは自分が死ぬことを通して、隣人への憐れみを示された。
−ルカ4:16-19「イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。・・・『主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである』。
・イエスに従うものとして、私たちも貧しい人に手を閉じてはいけない、それは信仰の基本だ。
−汽茱3:17-18「世の富を持ちながら、兄弟が必要な物に事欠くのを見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内に留まるでしょう。子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう」。
プリンタ用画面
友達に伝える
前
2005年7月27日祈祷会(申命記14章、聖なるものと汚れたもの)
カテゴリートップ
申命記(完)
次
2005年8月10日祈祷会(申命記16章、祭りを覚える)