すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.浄・不浄の区分


・民は聖なるものであるから、それにふさわしい物を食べることが求められる。
−申命記14:3-7「すべていとうべきものは食べてはならない。食べてよい動物は次のとおりである。牛、羊、山羊、雄鹿、かもしか、子鹿、野山羊、羚羊、大かもしか、ガゼル。その他ひづめが分かれ、・・・反すうする動物は食べることができる。ただし、反すうするだけか、あるいは、ひづめが分かれただけの動物は食べてはならない。らくだ、野兎、岩狸。これらは反すうするが、ひづめが分かれていないから汚れたものである」。
・食べることを禁じられたものの多くは、衛生的に食物にふさわしくないものだ(ひづめの分かれていない動物は直接地に足をつけて歩く)。人間の体を護る為に、食べていけないものが区別されたことが理由の一つであろう。
−レビ 11:1-3「イスラエルの民に告げてこう言いなさい。地上のあらゆる動物のうちで、あなたたちの食べてよい生き物は、ひづめが分かれ、完全に割れており、しかも反すうするものである」。
・また排除されている動物の多くは、肉食動物(鳥では猛禽類)だ。生きるためにやむを得ず肉を食べるとしても、他の動物の肉を食べる動物は食べるなと言われている。肉食の基本は悪であり、本来のものではない。
−イザヤ11:6-7「狼は小羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち、小さい子供がそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛もひとしく干し草を食らう。」
・この規定はやがて外面だけの遵守になって行き、新約においては浄・不浄の規定の撤廃が行われる。
−使徒行伝10:11-15「天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に下りて来るのを見た。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。『身を起こし、屠って食べなさい』と言う声がした。しかし、ペトロは言った『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物は何一つ食べたことがありません』。すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」
・汚れは外からではなく、内から来る。本当の浄・不浄とは、内を清めた生き方をすることだ。
−汽謄4:3-5「実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。すなわち、みだらな行いを避け、おのおの汚れのない心と尊敬の念をもって妻と生活するように学ばねばならず、神を知らない異邦人のように情欲におぼれてはならないのです」。
・旧約と新約は同じ事を私たちに命じている。基本は神が聖であるから、あなた方も清くあれと野命令である。
−申命記14:2「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。主は地の面のすべての民の中からあなたを選んで、御自分の宝の民とされた」。


2.十分の一を献げる


・収穫の十分の一を捧げよと命じられている。土地は神の所有であり、土地の実りをもたらすのも神だからだ。
−申命記14:22-23「あなたは、毎年、畑に種を蒔いて得る収穫物の中から、必ず十分の一を取り分けねばならない。あなたの神、主の御前で、すなわち主がその名を置くために選ばれる場所で、あなたは、穀物、新しいぶどう酒、オリーブ油の十分の一と、牛、羊の初子を食べ、常にあなたの神、主を畏れることを学ばねばならない」。
・神は献げ物を必要とされない。ただ献げる心を必要とされる。だから献げ物は、銀で購入したものでも良いし、かつ共に食べることが出来る。
−申命記14:26「銀で望みのもの、すなわち、牛、羊、ぶどう酒、濃い酒、その他何でも必要なものを買い、あなたの神、主の御前で家族と共に食べ、喜び祝いなさい」。
・一部は神殿に仕えるレビ人に与えよ。レビ人は主の御用をするために、嗣業の土地が与えられないからだ。
−民数記18:21「私は、イスラエルで捧げられるすべての十分の一をレビの子らの嗣業として与える。これは、彼らが臨在の幕屋の作業をする報酬である」。
・同じく嗣業の割り当てを持たない寄留者や孤児、寡婦にも与えよと言われている。
−申命記14:28-29「三年目ごとにその年の収穫物の十分の一を取り分け、町の中に蓄えておき、あなたのうちに嗣業の割り当てのないレビ人や、町の中にいる寄留者、孤児、寡婦がそれを食べて満ち足りることができるようにしなさい。そうすれば、あなたの行うすべての手の業について、あなたの神、主はあなたを祝福するであろう」。
・律法とはまさに神を愛し、隣人を愛することだ。その気持ちが失われたら、形式的に守っても意味がない。
−ルカ12:42「あなたたちファリサイ派の人々は不幸だ。薄荷や芸香やあらゆる野菜の十分の一は献げるが、正義の実行と神への愛はおろそかにしているからだ。これこそ行うべきことである」。
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