すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.イスラエルの選びの理由

・イスラエルは今から約束の地に入る。かって民は、その地に住む強い民を恐れて入ろうとしなかった。しかし、主はイスラエルに先立って戦われる。あなた方は彼らに勝利する。
−申命記9:1-3「聞け、イスラエルよ。あなたは今日、ヨルダン川を渡り、行ってあなたよりも大きく強い国々を追い払おうとしている。町々は大きく、城壁は天に達し、民は、あなたの知っているアナクの子孫で、大きくて背が高い。・・・しかし、今日、あなたの神、主は焼き尽くす火となり、あなたに先立って渡り、彼らを滅ぼしてあなたの前に屈服させられることを知り、主が言われたとおり、彼らを追い払い、速やかに滅ぼしなさい」。
・その時、あなたは『彼らは有罪ゆえに罰せられた。私たちは正しいので主が選ばれた』と思うかもしれない。しかし、それは違う、主はあなたが正しい故にあなたを選ばれたのではない。
−申命記9:4-5「あなたの神、主があなたの前から彼らを追い出されるとき、あなたは『私が正しいので、主は私を導いてこの土地を得させてくださった』と思ってはならない。この国々の民が神に逆らうから、主があなたの前から彼らを追い払われるのである。あなたが正しく、心がまっすぐであるから、行って、彼らの土地を得るのではなく、この国々の民が神に逆らうから、あなたの神、主が彼らを追い払われる」。
・それはあなたも罪を犯せば、この地から追い出されることを意味する。そのことを覚えよ。
−申命記9:6-7「あなたが正しいので、あなたの神、主がこの良い土地を与え、それを得させてくださるのではないことをわきまえなさい。あなたはかたくなな民である。あなたは荒れ野で、あなたの神、主を怒らせたことを思い起こし、忘れてはならない。あなたたちは、エジプトの国を出た日からここに来るまで主に背き続けてきた」。
・シナイ山で犯した罪を思い起こせ。あなた方は不安に駆られ、エジプトの子牛の神の像を作り、それを拝んだ。
−申命記9: 17「私が見たのは、あなたたちがあなたたちの神、主に罪を犯し、子牛の鋳像を造って、早くも主の命じられた道からそれている姿であった。私は両手に持っていた二枚の板を投げつけ、あなたたちの目の前で砕いた」。


2.救いはただ恵みのみ

・あなた方も先住民と同じく有罪なのだ。主はあなた方を滅ぼすと言われたのだ。
−申命記9:13-14「主は私に言われた『私はこの民を見てきたが、実にかたくなな民である。私を引き止めるな。私は彼らを滅ぼし、天の下からその名を消し去って、あなたを彼らより強く、数の多い国民とする』」
・主は私たちに全き献身を求められる。しかし、私たちには出来ない。私たちは自分を義とすることは出来ない。
−ローマ3:9-12「私たちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。・・・『正しい者はいない。一人もいない。悟る者もなく、神を探し求める者もいない。皆迷い、だれもかれも役に立たない者となった。善を行う者はいない。ただの一人もいない』」。
・私たちが義とされるのは、ただ神の恵みしかないのだ。申命記もパウロも同じことを伝える。
−ローマ3:21-24「ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです」。
・ホレブで背いた民はその後も背き続けた。
−申命記9:22-24「あなたたちはタブエラでも、マサでも、キブロト・ハタアワでも主を怒らせた。主がカデシュ・バルネアからあなたたちを遣わし『上って行って、私が与える土地を取りなさい』と言われたときも、あなたたちの神、主の命令に背き、主を信頼せず、その声に聞き従わなかった。主があなたたちをお選びになって以来、あなたたちは背き続けてきた」。
・そのあなたが生かされているのは、ただにモーセのとりなしの祈りゆえである。
−出エジプト記32:31-32「モーセは主のもとに戻って言った。「ああ、この民は大きな罪を犯し、金の神を造りました。今、もしもあなたが彼らの罪をお赦しくださるのであれば……。もし、それがかなわなければ、どうかこの私をあなたが書き記された書の中から消し去ってください。」
・とりなしの祈りこそ、罪人に最後の救いの機会を残し続けていることを私たちは知ろう。
−ローマ9:2-3「私には深い悲しみがあり、私の心には絶え間ない痛みがあります。私自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています」。
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