すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.約束の地の付与


・民はこれから約束の地に入るが、既に占領したヨルダン川東岸の土地はルベン族とガド族に与えられる。彼らは、牧畜に適したヨルダン川東岸の土地を求めた。モーセは、彼らもまた共に約束の地への民族の戦いに参加することを条件に土地の分与を認めた。そして、後継者ヨシュアに約束の土地=嗣業の地に攻め入ることを命じる。
―申命記3:21-22「私はそのとき、ヨシュアに命じた。『あなたたちの神、主が二人の王に対してなさったことをすべて、あなたは自分の目で見た。主は、あなたがこれから渡って行くすべての王国にも同じようにされるであろう。彼らを恐れてはならない。あなたたちの神、主が自らあなたたちのために戦ってくださる』」。
・やがて、イスラエルは約束の地に入る。それはイスラエルの嗣業の地であるが、土地の所有は永遠に保証されるものではない。それは恩恵として与えられ、イスラエルが契約を破れば、取り去られるものである。
―申命記30:15-18「見よ、私は今日、命と幸い、死と災いをあなたの前に置く。私が今日命じるとおり、あなたの神、主を愛し、その道に従って歩み、その戒めと掟と法を守るならば、あなたは命を得、かつ増える。あなたの神、主は、あなたが入って行って得る土地で、あなたを祝福される。もしあなたが心変わりして聞き従わず、惑わされて他の神々にひれ伏し仕えるならば、私は今日、あなたたちに宣言する。あなたたちは必ず滅びる。ヨルダン川を渡り、入って行って得る土地で、長く生きることはない」。
・私たちの前にも「幸いと災い、命と死」が置かれている。私たちが過ちを犯し時、災いと死が臨むが、悔い改めれば赦される。どのような時にも神から離れてはいけない。神は罰すると同時に赦される方であることを信じる。
―申命記30:1-3「私があなたの前に置いた祝福と呪い、これらのことがすべてあなたに臨み、あなたが、あなたの神、主によって追いやられたすべての国々で、それを思い起こし、あなたの神、主のもとに立ち帰り、私が今日命じるとおり、あなたの子らと共に、心を尽くし、魂を尽くして御声に聞き従うならば、あなたの神、主はあなたの運命を回復し、あなたを憐れみ、あなたの神、主が追い散らされたすべての民の中から再び集めて下さる」。


2.しかし、モーセは約束の地に入ることは出来ない


・モーセは主の前に罪を犯したため、約束の地に入ることは出来ない。
―申命記32:51-52「あなたたち(モーセとアロン)は、ツィンの荒れ野にあるカデシュのメリバの泉で、イスラエルの人々の中で私に背き、イスラエルの人々の間で私の聖なることを示さなかったからである。あなた(モーセ)はそれゆえ、私がイスラエルの人々に与える土地をはるかに望み見るが、そこに入ることはできない。」
・モーセは懇願する。「私の人生の目標は、約束の地に入ることでした。どうかヨルダン川を渡らせて下さい」。
―申命記3:23-25「私は、主に祈り求めた。『わが主なる神よ、あなたは僕である私にあなたの大いなること、力強い働きを示し始められました。あなたのように力ある業をなしうる神が、この天と地のどこにありましょうか。どうか、私にも渡って行かせ、ヨルダン川の向こうの良い土地、美しい山、またレバノン山を見せて下さい』」。
・しかし、モーセの願いは拒否される。
―申命記3:26-28「しかし主は、あなたたちのゆえに私に向かって憤り、祈りを聞こうとされなかった。主は私に言われた。『もうよい。この事を二度と口にしてはならない。ピスガの頂上に登り、東西南北を見渡すのだ。お前はこのヨルダン川を渡って行けないのだから、自分の目でよく見ておくがよい。ヨシュアを任務に就け、彼を力づけ、励ましなさい。彼はこの民の先頭に立って、お前が今見ている土地を、彼らに受け継がせるであろう』」。
・モーセは無念の内に、ヨルダン川を前に死ぬ。彼の人生は未完の人生であった。聖書は、人生は未完でよいではないかと私たちに語る。やり残したことは神に委ねれば良いとキングも語る。(キングは1968年4月3日にテネシー州メンフィスで申命記34章を説教した。彼は翌4月4日に暗殺されて39歳で死ぬ)。
―「一体これから何が起ころうとしているのか、私には分からない。ともかく、私たちの前途が多難であることは事実である。しかしそんなことは、今の私には問題ではない。なぜなら、私はすでに山の頂に登ってきたからである。従って、もう何も心配していない。私だって、ほかの人と同じように長生きしたいと思う。長寿にはそれなりの意味があるから。だが、もうそういうことも気にしていない。神の御心を全うしたいだけである。神は私に山に登ることをお許しになった。そこからは四方が見渡せた。私は約束の地も見た。私は皆さんと一緒にその地に到達することは出来ないかもしれない。しかし今夜、これだけは知っていただきたい。すなわち、私たちは一つの民として、その約束の地に至ることが出来る、ということである。だから、私は今夜、幸せである。もう何も不安なことはない。私はだれも恐れてはいない。この目で、主の再臨の栄光をみたのだから。」
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