すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.誓願をしたら守れという旧約の教え


・人は自発的誓願を行い、あるいは誓いを行うことによって、神の為に特定の行為を控えたり、感謝の気持ちを表現したりする。それは誓願をする、しないは自由であるが、誓った以上は守れと民数記は教える。
−民数記30:2-3「モーセはイスラエルの人々の諸部族の長に語った。これは、主の命じられたことである。人が主に誓願を立てるか、物断ちの誓いをするならば、その言葉を破ってはならない。すべて、口にしたとおり、実行しなければならない」。
・民数記30章は誓願の例外規定として、未婚の娘が立てた誓願は、その父が破棄出来ると規定する。
−民数記30:4-6「女性がまだ若くて、父の家にいるとき、主に誓願を立てるか、物断ちの誓いをするならば、父がその誓願や物断ちの誓いを聞いても、彼女に何も言わなければ、彼女の誓願も物断ちの誓いもすべて有効となる。しかし、父がそれを聞いた日に、それを禁じる場合、彼女の誓願も物断ちの誓いもすべて無効となる」。
・既婚の婦人の場合は、夫がそれを破棄することも出来ると規定する。
−民数記30:7-9「彼女が結婚することになったとき、依然として誓願中であるか、あるいは軽はずみに物断ちの誓いをしているならば、夫がそれを聞いた日に、彼女に何も言わなければ、彼女の誓願も物断ちの誓いもすべて有効である。しかし、夫がそれを聞いた日に、それを禁じる場合、夫は、彼女が立てている誓願や軽はずみな物断ちの誓いを破棄したのであるから、主は彼女を赦されるであろう」。
・但し、寡婦や離婚した婦人は独立の人格として、誓願を守らなければならない。
−民数記30:10「しかし、寡婦および離婚された女性の誓願、すべての物断ちの誓いは有効である」。
・誓願や物断ちは経済的負担を伴う場合もあるから、個人ではなく家の問題として考えよとの規定であろう。
−民数記30:14「誓願や苦行による物断ちの誓いは全て、彼女の夫がそれを有効にも、無効にもすることができる」。


2.誓うなと言われる主


・旧約では誓願の例は多い。典型例は、勝っても戦利品を自分たちの物にしないから勝たせて欲しいとの誓いだ。
−民数記21:1-3「ネゲブに住むカナン人、アラドの王は、イスラエルがアタリムの道を進んで来ると聞き、イスラエルと戦い、捕虜を引いて行った。イスラエルは主に誓いを立てて『この民を私の手に渡してくださるならば、必ず彼らの町を絶滅させます』と言った。主はイスラエルの言葉を聞き入れ、カナン人を渡された」。
・ヤコブは父の家への帰還させてくれるならば、あなたに従いマスと言って誓願を立てた。
−創世記28:20-22「ヤコブはまた、誓願を立てて言った『神が私と共におられ、私が歩むこの旅路を守り、食べ物、着る物を与え、無事に父の家に帰らせてくださり、主が私の神となられるなら、私が記念碑として立てたこの石を神の家とし、すべて、あなたが私に与えられるものの十分の一をささげます』」。
・誓願には取引の要素がある。エフタは戦いの誓願を立て、それに従って娘を殺して捧げた。このような献げ物を神は喜ばれるのだろうか。これでは現世利益そのままではないか。
−士師記11:30-34「エフタは主に誓いを立てて言った『もしあなたがアンモン人を私の手に渡してくださるなら、私がアンモンとの戦いから無事に帰るとき、私の家の戸口から私を迎えに出て来る者を主のものといたします。私はその者を、焼き尽くす献げ物といたします』。こうしてエフタは進んで行き、アンモン人と戦った。主は彼らをエフタの手にお渡しになった。・・・エフタがミツパにある自分の家に帰ったとき、自分の娘が鼓を打ち鳴らし、踊りながら迎えに出て来た。彼女は一人娘で、彼にはほかに息子も娘もいなかった」。
・イエスは一切誓うな、誓っても守れないではないかと言われた。
−マタイ5:33-37「昔の人は『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、私は言っておく。一切誓いを立ててはならない。・・・あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい」。
・イエスは誓いを守ることが出来ない私たちの弱さを知り、私たちのために救済を用意される。誓願を立てるとは何か、旧約と新約は何故違うのか。私たちはこれを自分の問題として考えよと言われている。
−ルカ22:31-34「『シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、私はあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい』。するとシモンは『主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております』と言った。イエスは言われた『ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう』」。
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