すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.神聖法典

・レビ記の後半(17−27章)は神聖法典と呼ばれる。「私は聖であるから、あなた方も聖であれ」という言葉が繰り返されているからである。
−レビ記19:2「イスラエルの人々の共同体全体に告げてこう言いなさい。あなたたちは聖なる者となりなさい。あなたたちの神、主であるわたしは聖なる者である。」
・1−16章では、守るべき戒めが教えられてきた。17章以下ではそれを生活の中でどのように守るかが述べられる。最初に言われるのは、牛や羊、山羊を屠る時は、全て主の幕屋の前に献げ、それから食せよと命じられる。
−レビ記17:3-5「イスラエルの人々のうちのだれかが、宿営の内であれ、外であれ、牛、羊、あるいは山羊を屠っても、それを臨在の幕屋の入り口に携えて来て、主の幕屋の前で献げ物として主にささげなければ、殺害者と見なされる。彼は流血の罪を犯したのであるから、民の中から断たれる。それゆえ、従来イスラエルの人々が野外で屠っていたいけにえは、主への献げ物として臨在の幕屋の入り口の祭司のもとに携えて行き、それを主への和解の献げ物とすべきである。」
・牛や羊、山羊は購いのために捧げられる家畜である。その血は人の罪を清めるものである。だから、無意味に血を流してはいけない。「殺すな」という戒めが生活化されている。
−レビ記17:10-12「イスラエルの家の者であれ、彼らのもとに寄留する者であれ、血を食べる者があるならば、私は血を食べる者に私の顔を向けて、民の中から必ず彼を断つ。生き物の命は血の中にあるからである。私が血をあなたたちに与えたのは、祭壇の上であなたたちの命の贖いの儀式をするためである。血はその中の命によって贖いをするのである。それゆえ、私はイスラエルの人々に言う。あなたたちも、あなたたちのもとに寄留する者も、だれも血を食べてはならない。」
・血こそ生き物を生かす力であり、贖罪の清めの手段である。肉を食べても良いが、それが命を犯して得られたものであることを知れといわれる。
−創世記9:3-4「動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。私はこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。」
・非儀性の獣の肉を食べる時もそうだ。血を流しきった後で肉を食べよ。
−レビ記17:13-14「イスラエルの人々であれ、彼らのもとに寄留する者であれ、食用となる動物や鳥を捕獲したなら、血は注ぎ出して土で覆う。すべての生き物の命はその血であり、それは生きた体の内にあるからである。私はイスラエルの人々に言う。いかなる生き物の血も、決して食べてはならない。すべての生き物の命は、その血だからである。それを食べる者は断たれる。」


2.血の購い


・人が血の購いを通して救われることは、新約聖書にも継承された教えである。
−ヘブル9:19-22「モーセが律法に従ってすべての掟を民全体に告げたとき、水や緋色の羊毛やヒソプと共に若い雄牛と雄山羊の血を取って、契約の書自体と民全体とに振りかけ、「これは、神があなたがたに対して定められた契約の血である」と言ったからです。また彼は、幕屋と礼拝のために用いるあらゆる器具にも同様に血を振りかけました。こうして、ほとんどすべてのものが、律法に従って血で清められており、血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです。」」
・イエスもご自分の十字架死が、血で持って購うことだと信じておられた。
−ルカ22:20「食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流される、私の血による新しい契約である。』」
・私たちは「キリストの血により購いとられた」存在である。それを知るとき、私たちの行き方は変えられる。もし変えられないとしたら、私たちがそれを知らないからだ。
−汽灰6:19-20「あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」
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