2019年5月23日祈祷会(サムエル記下17章、ダビデを救われる神)

1. 愚かな過ちを犯すアブサロム

・ダビデはエルサレムから逃れ、アブサロムが宮廷に入った。アブサロムの腹心アヒトフェルは、一気に追討軍を出して、ダビデを撃つように新王に提言する。「ダビデさえ討ち果たせば、大勢は決定する」とのアヒトフェルトの意見は理にかなっていた。
−サムエル記下17:1-4「アヒトフェルはアブサロムに言った『一万二千の兵を私に選ばせてください。今夜のうちに出発してダビデを追跡します。疲れて力を失っているところを急襲すれば、彼は恐れ、彼に従っている兵士も全員逃げ出すでしょう。私は王一人を討ち取ります。兵士全員をあなたのもとに連れ戻します・・・そうすれば、民全体が平和になります』。この言葉はアブサロムにも、イスラエルの長老全員の目にも正しいものと映った」。
・しかし、アブサロムは、「ダビデ一行はまだ遠くに行っていない。しかも疲れている。今であれば容易にダビデ軍を撃つことが出来る」との提案を採用せず、もう一人の腹心フシャイの意見を聞こうとする。フシャイはアブサロムの宮廷にいるが、実はダビデから派遣された密使だった。
−サムエル記下17:5-6「アブサロムは『アルキ人フシャイも呼べ。彼の言うことも聞いてみよう』と言い、フシャイがアブサロムのもとに呼び出された。アブサロムは言った『これこれのことをアヒトフェルは提言したが、そうすべきだと思うか。反対なら、お前も提言してみよ』」。
・フシャイはダビデに態勢を立て直す時間を与えるために、慎重論を説く。彼の「アブサロムが全軍を率いて父王を打つべきだ」との提案は、王としてのアブサロムの自尊心をくすぐった。
−サムエル記下17:11-12「私はこう提案いたします。まず王の下に全イスラエルを集結させることです。ダンからベエル・シェバに至る全国から・・・兵士を集結させ、御自身で率いて戦闘に出られることです。隠れ場にいる父上を襲いましょう。露が土に降りるように我々が彼に襲いかかれば、彼に従う兵が多くても一人も残ることはないでしょう」。
・戦略的にはアヒトフェルの助言が優れていたのに、アブサロムはフシャイの助言を選択する。そこに「主の御旨が働いていた」とサムエル記は記す。
−サムエル記下17:14「アブサロムも、どのイスラエル人も、アルキ人フシャイの提案がアヒトフェルの提案にまさると思った。アヒトフェルの優れた提案が捨てられ、アブサロムに災いがくだることを主が定められたからである」。
・フシャイは使者をダビデに送り、情報を伝える。この情報で戦いの帰趨は決まった。
−サムエル記下17:15-16「フシャイは祭司ツァドクとアビアタルに言った。『アヒトフェルはアブサロムとイスラエルの長老たちにこれこれの提案をしたが、私はこれこれの提案をした。急いで、使者をダビデに送り、こう告げなさい。荒れ野の渡し場で夜を過ごさず、渡ってしまわなければなりません。王と王に従う兵士が全滅することのないように』」。
・他方、自分の助言が採用されなかったことを知ったアヒトフェルは、アブサロムを見限り、故郷の町に帰って、自殺する。勝敗の帰趨が見えていたからだ。神に頼らず自分の力に頼む者は、敗れれば死ぬ。ここに旧約のイスカリオテのユダがいる
−サムエル記下17:23「アヒトフェルは自分の提案が実行されなかったことを知ると、ろばに鞍を置き、立って家に帰ろうと自分の町に向かった。彼は家の中を整え、首をつって死に、祖先の墓に葬られた」。

2.ダビデを救われる主

・神は、私たちの思いや策略さえ用いて、ご自分の意思を実行される。歴史にはヒトラーやスターリンさえ必要であった。すなわち、「人が神を見失い、自分が神になろうとする時、何が起こるのかを示す」ためであった。そのために、一定の時間、ヒトラーやスターリンが暴虐の限りを尽くすのを神は猶予された。
−黙示録6:10-11「彼らは大声でこう叫んだ『真実で聖なる主よ、いつまで裁きを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか』。すると、その一人一人に、白い衣が与えられ、また自分たちと同じように殺されようとしている兄弟であり、仲間の僕である者たちの数が満ちるまで、なお、しばらく静かに待つようにと告げられた」。
・全ては神の御手の中にある、いつかはそれがわかる時が来るというのが聖書の信仰だ。兄弟に売られてエジプトで奴隷になったヨセフは、自分が兄弟たちの命を救う者となるためにここに遣わされたと告白する。
−創世記45:4-8「私はあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、私をここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。・・・この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。私をここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神が私をファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者として下さったのです』」。
・フシャイからの使者を受けたダビデは、ヨルダン川を渡り、マハナイムに陣を敷き、態勢を整える。
−サムエル記下17:27-29「ダビデがマハナイムに着くと、ラバ出身のアンモン人ナハシュの子ショビ、ロ・デバル出身のアミエルの子マキル、ロゲリム出身のギレアド人バルジライとが、寝具、たらい、陶器、小麦、大麦、麦粉、炒り麦、豆、レンズ豆、炒り麦、蜂蜜、凝乳、羊、チーズを食糧としてダビデと彼の率いる兵に差し出した。兵士が荒れ野で飢え、疲れ、渇いているにちがいないと思ったからである」。
・そのころ、アブサロム軍も出陣し、ギレアドに陣を敷いた。しかし、有能な指揮官アヒトフェルトを失ったアブサロム軍は弱体化しており、勝敗はもう見えていた。
−サムエル記下18:6-7「兵士たちはイスラエル軍と戦うために野に出て行った。戦いはエフライムの森で起こり、イスラエル軍はそこでダビデの家臣に敗れた。大敗北で、その日、二万人を失った」。
・ダビデは勝ち、アブサロムは死んだ。しかしそれはダビデに何の喜びをももたらさず、悲しみをもたらした。やむを得ないとはいえ、自分の手で自分の息子を殺したからだ。
−サムエル記下19:1「ダビデは身を震わせ、城門の上の部屋に上って泣いた。彼は上りながらこう言った。『私の息子アブサロムよ、私の息子よ。私の息子アブサロムよ、私がお前に代わって死ねばよかった。アブサロム、私の息子よ、私の息子よ。』」
・人間の欲望がもたらす罪の贖いは重い。ダビデがウリヤの妻バテシバを力づくで犯すことをしなければ、アムノンもタマルに対して、暴力的な性関係を強要しなかっただろう。ダビデがアムノンの罪をきちんと処罰すればアブサロムがアムノンを殺すことはなかったであろう。さらにダビデが罪を犯したアブサロムを赦せば、アブサロムが反乱を起こすこともなかった。まさに欲望は家族から平和を奪い取る悪である。
−ヤコブ1:14-15「人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」。

3.サムエル記下17章の黙想(福井誠・聖書一日一章から)

・アブサロムは、フィシャイにごまかされ、騙された。しかし、アブサロムには、そこまで考える力はなかった。アブサロムがイスラエルのすべての人々を招集している間に、ダビデは戦闘体制を整えるための時間を稼ぐことが出来た。事実、荒野で飢え疲れている彼らのもとに、ショビ、マキル、バルジライの三人の資産家より、思いやりのある援助が届けられた。彼らは一時の安息を得た。
・かつて神は、恐れるヤコブに、マハナイムで神の遣いたちを遣わされた。その同じ場所で、ダビデに具体的な神の励ましを送られている。しかし、ヤコブにしても、ダビデにしても、なぜに神はこれほどよくしてくださるのか。ダビデは神の御心を損なっただけではなく、何の罪のない人を殺めてもいる。本来ならば見捨てられてもよい存在ではないだろうか。しかしダビデは神を求め続けた。だから神はダビデを憐れまれた。パウロは、ダビデについて、行いによらず神の恵みを受けた人の例としてあげている。
−ローマ4:6-8「同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、次のようにたたえています。『不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、幸いである。主から罪があると見なされない人は、幸いである』」。
・神は物事を正しくさばかれるお方であるが、罪を赦してくださるお方である。赦し、人を立て直すお方である。自分の思いに引きずられて、自分の人生は大した結果にはならないと決めてかかることもあるだろう。あるいは、こんな失敗をして、もう何の希望も持てないと思うこともあるかもしれない。しかし、アヒトフェルの優れたはかりごとを無にして、罪人のダビデを助けて下さった、憐れみの神は今なお生きているというのが、聖書の語るところである。この神に望みを置いて人生を諦めないことである。弱く、不敬虔であり、神に敵対している者には、望みがある。神は愛であり憐れみ深いからだ。