2019年2月28日祈祷会(サムエル記下2章、主の約束の実現を待つダビデ)

1. ダビデがユダヤの王となる

・サウルの死を知ったダビデは、主の託宣を求め、ヘブロンを示されてその地に行った。彼はそこで油を注がれ、ユダ族の王になった。前はサムエルから選びの油を注がれ、今回は人々から受け入れのしるしとして油を注がれた。
−サムエル記下2:1-4「ダビデは主に託宣を求めて言った『どこかユダの町に上るべきでしょうか』。主は言われた『上れ・・・ヘブロンへ』・・・ダビデは彼に従っていた兵をその家族と共に連れて上った。こうして彼らはヘブロンの町々に住んだ。ユダの人々はそこに来て、ダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした」。
・しかし、彼を受け入れたのは出身のユダ族のみであり、他の部族は依然サウル王家の支配下にあった。サウルの将軍アブネルはサウルの次男イシュ・ボシェトを立ててイスラエルの王にする。イシュ・ボシェトはサウルの四男であったが、ヨナタンを始め兄三人が死に、サウルの後継者となった。
−サムエル記下2:8-10「サウルの軍の司令官、ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェトを擁立してマハナイムに移り、彼をギレアド、アシュル人、イズレエル、エフライム、ベニヤミン、即ち全イスラエルの王とした。サウルの子イシュ・ボシェトは四十歳でイスラエルの王となり、二年間王位にあった。だが、ユダの家はダビデに従った」。
・イスラエルはダビデ家とサウル家に分裂し、覇権を争い、小競り合いが続いた。その小競り合いがやがて戦闘となり、両軍に死者がでる。戦いはダビデ軍が優勢だった。
−サムエル記下2:15-17「ベニヤミン族とサウルの子イシュ・ボシェトの側から十二人、ダビデの家臣からも十二人、同数の者が立って次々と出て行った。彼らはそれぞれ相手の頭をとらえ、剣を相手の脇腹に突き刺し、皆共に倒れた・・・その日、激しい戦いが続き、アブネルとイスラエルの兵がダビデの家臣に打ち負かされた」。
・戦いを指導したのは、サウルの将軍アブネルとダビデの将軍ヨアブだった。アブネルは戦いの中でヨアブの弟アサエルを殺し、両者は敵同士になる。
−サムエル記下2:22-23「アブネルは重ねてアサエルに言った『追うのはやめてくれ。お前を地に打ち倒すわけにはいかない。お前の兄、ヨアブに顔向けできないではないか』。だがアサエルは頑として離れなかった。アブネルは槍の石突きでアサエルの下腹を突いた。槍は背中まで突き抜け、アサエルは倒れ、その場で死んだ」。

2.忍耐と主の導きへの信頼

・ダビデが王となるべく油を注がれたのは10代の時、彼が実際の王になったのは30代であり、20年の時が流れている。主の約束は必ず実現するが、長い時間が必要だ。私たちは約束の実現まで忍耐するべきことを教えられる。ダビデはユダの王になった後も、敵対するイスラエル王イシュ・ボシェトを攻めようとはしなかった。サウルを殺す機会が与えられても殺さなかったのと同じだ。彼は主の約束を自分の力や策略で実現しようとはしなかった。「主は生きておられる」、この言葉の中にダビデの信仰がある。
−サムエル記下3:1「サウル王家とダビデ王家との戦いは長引いたが、ダビデはますます勢力を増し、サウルの家は次第に衰えていった。」。
・同時に全イスラエルの王になる準備を進める。ダビデは、イシュ・ボシェトの領地内にあるヤベシ・ギレアデの人々に書簡を送った。自分がサウルの後継者であり、ギレアドの人々に忠誠を誓うように求めた。
−サムエル記下2:4-7「ギレアドのヤベシュの人々がサウルを葬ったと知らされたとき、ダビデはギレアドのヤベシュの人々に使者を送ってこう言わせた。『あなたがたが主に祝福されますように。あなたがたは主君サウルに忠実を尽くし、彼を葬りました。今、主があなたがたに慈しみとまことを尽くしてくださいますように。私も、そうしたあなたがたの働きに報いたいと思います。力を奮い起こし、勇敢な者となってください。あなたがたの主君サウルは亡くなられましたが、ユダの家はこの私に油を注いで自分たちの王としました』」。
・やがてサウル軍の将軍アブネルが殺され、イシュ・ボシェト王も暗殺される。
−サムエル記下4:1-7「アブネルがヘブロンで殺されたと聞いて、サウルの息子イシュ・ボシェトは力を落とし、全イスラエルはおびえた・・・レカブとバアナは、日盛りのころイシュ・ボシェトの家にやって来た。イシュ・ボシェトは昼寝をしていた。レカブとその兄弟バアナは・・・家の中に入り、彼の下腹を突き刺して殺し、逃亡した・・・
二人は彼を突き刺して殺し、首をはねた」。
・こうしてダビデが全イスラエルの王になる地盤が整った。彼が王になったのはヘブロンでユダの王になってから7年後であった。彼は自らの手で敵を倒して王になることをしなかった。
−サムエル記下5:3-5「イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。ダビデは三十歳で王となり、四十年間王位にあった。七年六か月の間ヘブロンでユダを、三十三年の間エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した」。
・ダビデは静かに神の時が満ちることを待った。主はイザヤに言われた「立ち返って静かにせよ」と。神の召しを信じる者は「静かに待つ」ことが出来る。
−イザヤ30:15-17「まことに、イスラエルの聖なる方、わが主なる神は、こう言われた。『お前たちは、立ち帰って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある』と。しかし、お前たちはそれを望まなかった。お前たちは言った。『そうしてはいられない、馬に乗って逃げよう』と。それゆえ、お前たちは逃げなければならない。また「速い馬に乗ろう」と言ったゆえに、あなたたちを追う者は速いであろう。一人の威嚇によって、千人はもろともに逃れ、五人の威嚇によって、お前たちは逃れる。残る者があっても、山頂の旗竿のように、丘の上の旗のようになる」。

3.サムエル記下2章の黙想(ダビデとイエス、市川喜一著作集より)

・「メシア」という言葉は、ヘブライ語・アラム語では、「油を注がれた者」、聖別された者を意味した。バビロン捕囚以後、メシア待望が強まると、イスラエルを救うメシアはダビデの子孫から出ると信じられるようになった。イエス・キリストはしばしば「ダビデの子」と言及される。「ダビデの子」という称号は、イエス時代のユダヤ教徒の間では来たるべきメシアを指す称号として定着していた。
・権威をもって教え、力ある業を示されたイエスを、民衆は「ダビデの子」と歓呼して迎えたが、イエス自身はこの「ダビデの子」という称号を一度も口にされず、むしろ人々がイエスを「ダビデの子」として語ることを厳しく禁じられた。イエスが「ダビデの子」という称号を厳しく拒否されたのは、この称号がイスラエルの政治的解放者としてのメシアを指しており、イエスはこのようなメシアとして立とうとする思いと激しく戦われた。この時代のユダヤ人の一般的なメシア待望とイエスの自覚の対比は、ペトロがイエスをメシアだと告白したときのイエスの叱責にもっとも鋭く現れている(マルコ八・三一〜三三)。
・イエス復活後のユダヤ人信者の群れは、同胞のユダヤ人シナゴーグに、イエスこそ約束されたメシアであることを論証するために、イエスがダビデの家系の出身であることを示そうとした。その傾向はユダヤ人に福音を宣べ伝えようとするマタイ福音書に顕著で、イエスの系図と誕生物語にもっともよく表現されている。マタイは福音書冒頭でイエスを「ダビデの子」と紹介する。イエスの系図の重点は、イエスがダビデの家系であることを示すことにある。ダビデの町ベツレヘム(ルカ二・四)での誕生の物語も、イエスがダビデの家系であることを示すためだ。イエスの働きの記録においても、マタイはマルコよりも多く「ダビデの子」という称号を用いている。