すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  レビ記(完)  >  2004年4月28日(レビ記14章、らい病患者の社会への復帰)
1.らい病からの清め


・らい病患者がいやされた時は清めの儀式を行う。最初は共同体への復帰のための清めである。
−レビ記14:3-4「彼が祭司のもとに連れて来られると、祭司は宿営の外に出て来て、調べる。患者の重い皮膚病が治っているならば、祭司は清めの儀式をするため、その人に命じて、生きている清い鳥二羽と、杉の枝、緋糸、ヒソプの枝を用意させる。」
・らい病は高慢の罪に対する罰と考えられた。そのため、それを悔い改めるための儀式が必要になる。
−ラビの教え「らい病者は清めに最も高い木(香柏)を用い、自身を緋色の虫のごとく低くし、またヒソプの葉のごとく低くしなければならない」。
・二羽の鳥のうち、一羽は犠牲として捧げられ、もう一羽は野に放たれた。この鳥にらい病の不浄を感染させ、もってスケープ・ゴートとして献げるためである。
−レビ記14:6-7「杉の枝、緋糸、ヒソプおよび生きているもう一羽の鳥を取り、さきに新鮮な水の上で殺された鳥の血に浸してから、清めの儀式を受ける者に七度振りかけて清める。その後、この生きている鳥は野に放つ。」
・7日間を待って、病気の再発がないことを確認された者は、共同体への復帰が許される。
−レビ記14:8「清めの儀式を受けた者は、衣服を水洗いし、体の毛を全部そって身を洗うと、清くなる。この後、彼は宿営に戻ることができる。しかし、七日間は自分の天幕の外にいなければならない。」
・イエスの時代にも、この規定は厳密に守られた。伝染病予防ために患者は隔離するが、治れば復帰を許す。
−マタイ8:3-4「イエスが手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち、重い皮膚病は清くなった。イエスはその人に言われた。『だれにも話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めた供え物を献げて、人々に証明しなさい。』」
・4000年前に、らい病患者の社会復帰を許す法が定められていたことは驚くべきことである。
*ハンセン病患者は「らい予防法」の下で強制隔離をさせられていたが、1996「らい予防法の廃止に関する法律」の施行、2001 年5月「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」で熊本地方裁判所が原告(元患者等)勝訴判決を下した(国側は控訴を断念)ことにより、ハンセン病患者の社会復帰の要件はそろったが、現実は厳しい。下記は2001年の判決文の一部である。「原告らは療養所に強制的に収容させられたことそれ自体によって社会とのつながりを断ち切られ、普通の人間の社会に戻れない状態に置かれる・・・。「らい患者」はすべて死に絶えるべき存在と刻印する絶対隔離・絶滅政策において、死に絶えるべき場である「療養所」に隔離収容されること、つまり、死に絶えるべき存在としての絶望、それ自体が原告らに精神的打撃を与え、その意識の奥底に深い傷を残すことになり、原告らは、大きく人間性を疎外された。」
・日本社会の最大の問題は罪の赦しがないことである。罪が許され、社会に復帰することを宣言する福音は、日本にとって本当に必要とされるものだ。
−ローマ6:6-8「私たちの古い自分がキリストと共に十字架につけられたのは、罪に支配された体が滅ぼされ、もはや罪の奴隷にならないためであると知っています。死んだ者は、罪から解放されています。私たちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。」


2.清めの献げ物


・共同体への復帰を許された者は、今度は神との交わりの復帰のための献げ物をする。
−レビ記14:10「八日目に、彼は無傷の雄羊二匹、無傷の一歳の雌羊一匹、オリーブ油を混ぜた十分の三エファの上等の小麦粉の献げ物、一ログのオリーブ油を調える。」
・祭司は購いの羊の血を、清めの儀式を受ける者の右の耳たぶ、右の親指、右の足の親指に塗る。右は聖書においては聖なる方向である。罪を赦された者は、「もう罪を犯してはいけない」と命令される。
−ヨハネ8:10-11「イエスは、身を起こして言われた。『婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。』女が、『主よ、だれも』と言うと、イエスは言われた。『私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。』」
・私たちもらい病者と同じように、死の病の中から清められた。だから私たちも自分の人生を献げ物とする。
−ローマ12:1-2「神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」
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