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2019年1月10日祈祷会(サムエル記上25章、賢さと愚かさ)

1.愚かなナバルと賢いアビガイル

・ダビデがサウルに追われて荒野にいる時、預言者サムエルが死んだ。サムエルはサウルの王権剥奪を宣言し、ダビデを新たな王として油を注いだ人物だ。保護者サムエルの死去は、サウルに追われるダビデを更に窮地に追い込んだ。
−サムエル記上25:1「サムエルが死んだので、全イスラエルは集まり、彼を悼み、ラマにある彼の家に葬った。ダビデは立ってパランの荒れ野に下った」。
・保護者を失ったダビデは、武装勢力を率いて荒野を根城にして、村々から保護の報酬を受け取り、部下たちを養っていた。ダビデは600人の従者を抱えていた。彼らを養うために、彼は何かをしなくてはならなかった。ダビデは、かつてナバルの羊飼いたちに恩を売ったことを思い出す。羊の毛を刈る季節に、ダビデは保護の報酬を受け取るために、カルメルの羊飼いナバルに使いを送った。
−サムエル記上25:2-8「一人の男がマオンにいた。仕事場はカルメルにあり、非常に裕福で、羊三千匹、山羊千匹を持っていた。彼はカルメルで羊の毛を刈っていた・・・荒れ野にいたダビデは、ナバルが羊の毛を刈っていると聞き、十人の従者を送ることにして、彼らにこう言った『私の従者が御厚意にあずかれますように。この祝いの日に来たのですから、お手許にあるものを僕たちと、あなたの子ダビデにお分けください』」。
・ナバルはダビデへの報酬支払いを拒否した。ダビデの行為はならず者が因縁をつけて金品を脅し取る行為と思ったからだ。さらに彼は、サウル王に追われているダビデを「主人のもとを逃げ出す奴隷」と表現し、軽視している。ヘブル語「ナバル」は愚か者を意味する。彼は悪人ではないが愚鈍である。
−サムエル記上25:10-11「ダビデとは何者だ、エッサイの子とは何者だ。最近、主人のもとを逃げ出す奴隷が多くなった。私のパン、私の水、それに毛を刈る者にと準備した肉を取って、素性の知れぬ者に与えろというのか。」
・ダビデは怒り、ナバル一族を殺すことを誓う。家畜の安全を守ったダビデに対する報酬の拒否は、安全を武力で守らなければいけない古代において愚かな行為だった。保護の代償を拒否された武装集団はたやすく略奪者に変わりうる。事業を営むナバルは当然知っているべきだった。
−サムエル記上25:21-22「荒れ野で、あの男の物をみな守り、何一つ無くならぬように気を配ったが、それは全く無益であった。彼は善意に悪意をもって報いた。明日の朝の光が射すまでに、ナバルに属する男を一人でも残しておくなら、神がこのダビデを幾重にも罰してくださるように。」
・ナバルの妻アビガイルはこの噂を聞いて、至急ダビデへの贈り物を用意させ、ダビデの元に運び込む。途中、アビガイルはナバルを討つ為に道を急ぐダビデたちと会い、彼の前に跪く。彼女は現実主義者であり、弱肉強食の世界では何をすべきかを知る聡明な女性であった。
−サムエル記上25:24-27「御主人様、私が悪うございました。はしための言葉をお聞きください。御主人様が、あのならず者ナバルのことなど気になさいませんように・・・主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。あなたを引き止め、流血の災いに手を下すことからあなたを守ってくださったのは主です・・・ここにある物は、はしためが持参した贈り物でございます。お足もとに仕える従者にお取らせくださいますように」。

2.悪に悪を持って報いるな

・ダビデはアビガイルに感謝する。彼女が贈り物を持ってきたからではなく、彼女の行為によって、ダビデが怒りのあまり、殺戮の罪を犯すことが止められたからだ。ダビデはアビガイルの言葉を神の摂理として受け入れた。
−サムエル記上25:32-35「イスラエルの神、主はたたえられよ。主は、今日、あなたを私に遣わされた・・・私が流血の罪を犯し、自分の手で復讐することを止めてくれた・・・主は、私を引き止め、あなたを災いから守られた。あなたが急いで私に会いに来ていなければ、明日の朝の光が射すころには、ナバルに一人の男も残されていなかっただろう・・・平和に帰りなさい。あなたの言葉を確かに聞き入れ、願いを尊重しよう」。
・ナバルは何も知らず宴会を開いていたが、アビガイルが事の次第を話すとナバルは意識をなくし、10日後に死んだ。自分がまさに殺される寸前であったことを知って、驚愕したのであろうか。ナバルの行いはルカ12章の愚かな金持ちに似ている。「愚か者」とは、目に見える現実だけを見て、自分の力で何とかしようとする者だ。自分が生かされていることを知らない者だ。
−ルカ12:19-20「(金持ちは思った)こう自分に言ってやるのだ『さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめと』。しかし神は『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた」。
・ナバルの死を知ったダビデは主を褒め称えた。彼が報復を思いとどまった代償として、主が報復してくださったからだ。
−サムエル記上25:39「ナバルが死んだと聞いたダビデは『主はたたえられよ。主は、ナバルが加えた侮辱に裁きを下し、僕に悪を行わせず、かえって、ナバルの悪をナバルの頭に返された』と言った」。
・ダビデは寡婦になったアビガイルを妻に迎え、この結婚を通じて、ナバルの財産を手に入れ、経済基盤の安定を得た。ダビデは自分の問題を自力で解決することを断念することを通して、主の恵みを得た。
−サムエル記上25:39B-42「ダビデはアビガイルに人を遣わし、彼女を妻にしたいと申し入れた。ダビデの部下がカルメルにいたアビガイルのもとに来て、『ダビデは我々をあなたのもとに遣わし、あなたを妻として迎えたいと言っています』と告げた。彼女は立ち上がり、地に伏して礼をし、『私は御主人様の僕たちの足を洗うはしためになります』と答え、すぐに立ち、急いで驢馬に乗り、彼女に仕える侍女を五人連れて、ダビデの使者の後に従った。アビガイルはダビデの妻となった」。

3.サムエル記上25章の黙想(福井誠「聖書一日一章」から)

・ダビデは献上品を断ったナバルに対して、400人の部下に剣をつけさせ、ナバル一族を皆殺しにするために出かけていく。24章では、ダビデはサウルに手を下さず、大変な忍耐と人間として最も円熟した有り方を示したのであるが、その直後には、全く人間的な粗野な姿をありのままにさらけ出している。自制心の一欠片もなく、ナバルのわずかな侮辱の言葉で怒り狂っている。ダビデに何が起こったのであろうか。結局人間は、神に日々刻々、一瞬一瞬寄り頼んで生きることがなければ、愚かな生まれつきのままの人間の欲望に振り回されてしまう。どんなに誘惑に打ち勝った経験があろうと、どんなに清められた経験をしたとしても、それは、永続的なものではなく、日々刻々の勝利である。私たちの勝利は、天に宝を積むことにはなるが、地においては、その時々の勝利に過ぎない。いつでも、私たちは次の戦い、次の戦いへと備えられなくてはならない。
・幸いダビデは、アビガイルの機転によって復讐の罪に陥ることから守られていく。しかし私たちの場合は、しばしばそうはならないことがある。自分にはアビガイルはいない、と思わされることがある。しかしそうではない。ダビデも後に、意のまま大変な過ちを犯してしまうではないか。大切なのは、聖霊の助言にいつも耳を傾けることである。聖霊は、常に私たちの心に語っている。「罪は戸口で待ち伏せしてあなたを恋い慕っている。だが、あなたはそれを治めるべきである」(創世記4:7)と。ナバルは、神に打たれて死んだ。神はダビデの汚名を晴らしてくださった。神の解決こそ、私たちは求めなくてはならない。
・聖霊は常にあなたが罪を犯すことのないように、と聖書のことばによって語りかけている。いかに復讐する正当な理由を感じようと、いかに、相手を罵倒する正当な理由を感じようと、意のまま、感情のままに動いて自らの人生に汚点を残してはならない。主の正しいさばきに自らを委ねるべきである。あなたは、神の子である。神に愛されている者であり、神の宝であることを忘れてはいけない。
−ローマ12:19-21「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。『復讐は私のすること、私が報復すると主は言われる』と書いてあります。『あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる』。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」。
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