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2018年12月20日祈祷会(サムエル記上23-24章、試練を通して成長するダビデ)

1.荒野を逃げ惑うダビデ

・ダビデはサウルから命を狙われて逃亡している。ダビデの下に、ユダ族の町ケイラの町がペリシテ人の略奪にあっているとの知らせが届いた。ダビデは、ケイラの町を救うために行くべきかを主に訊ねる。
−サムエル記上23:1-2「ペリシテ人がケイラを襲い、麦打ち場を略奪している、という知らせがあったので、ダビデは主に託宣を求めた『行って、このペリシテ人を討つべきでしょうか』。主はダビデに言われた『行け、ペリシテ人を討って、ケイラを救え』」。
・部下は反対する「あなたは王に追われている立場だ。今、出動すれば、そこにサウル王の軍勢が押し寄せる。国を守るのは王の仕事であり、私たちではない。他人のことを心配している時ではない」と。
−サムエル記上23:3「だが、ダビデの兵は言った『我々はここユダにいてさえ恐れているのに、ケイラまで行ってペリシテ人の戦列と相対したらどうなるでしょうか』」。
・ダビデは再度主に問い、「行け」との指示を受けて、ケイラに行く。自分のことで手一杯の時には、他者のことは気にかけないのが普通だ。しかし、ダビデは余裕のない時に、なお他者を助けた。ケイラの町は救われた。しかし、部下たちが懸念したように、サウルは軍勢を出して、ケイラを攻める準備を始める。ケイラの人々はサウルを恐れてダビデを引き渡す気配を見せる。ダビデは逃れた。
−サムエル記上23:12-13「ダビデが『ケイラの有力者らは、私と兵をサウルの手に引き渡すでしょうか』と尋ねると、主は『引き渡す』と言われた。ダビデとその兵およそ六百人は立ち上がって、ケイラを去り、あちこちをさまよった」。
・御心に従って行為しても報われない時もある。その中で神の守りを信じていくことで、ダビデは成長していく。ダニエル書にある「たとえそうでなくとも」(ダニエル3:17-18)という信仰がここにある。
−サムエル記上23:14「ダビデは荒れ野のあちこちの要害にとどまり、またジフの荒れ野の山地にとどまった。サウルは絶え間なくダビデをねらったが、神は彼をサウルの手に渡されなかった」。

2.祈りながら逃亡するダビデ

・逃亡を続けるダビデの下に、サウルの子ヨナタンが来て励ます。彼は数千の兵を率いる父よりも、600の兵しかいないダビデに正義を見る。彼は「地ではなく、天を」見ている。
−サムエル記上23:15-18「ジフの荒れ野のホレシャにとどまっていたダビデは、サウルが自分の命をねらって出陣したことを知った。サウルの子ヨナタンがホレシャにいるダビデのもとに来て、神に頼るようにとダビデを励まして、言った『恐れることはない。父サウルの手があなたに及ぶことはない。イスラエルの王となるのはあなただ。私はあなたの次に立つ者となるだろう。父サウルも、そうなることを知っている』。二人は主の御前で契約を結んだ」。
・世の人は「天ではなく地に」、強い方につく。ジフの人々はダビデがひそんでいる事をサウルに密告する。
−サムエル記上23:19-20「ジフの人々は、ギブアに上ってサウルに報告した『ダビデは我々のもとに隠れており、砂漠の南方、ハキラの丘にあるホレシャの要害にいます。王が下って行くことをお望みなら、今おいでください。王の手に彼を引き渡すのは我々の仕事です』」。
・サウルの兵はダビデを捕らえるべく出陣し、ダビデは逃げるが、マオンの荒野で追いつかれる。
−サムエル記上23:25-26「サウルとその兵はダビデをねらって出て来たが、ダビデはその知らせを受けると、マオンの荒れ野の岩場に行き、そこにとどまった。サウルはそのことを聞き込み、マオンの荒れ野にダビデを追跡した・・・サウルとその兵は、ダビデとその兵を捕らえようと、周囲から迫って来た」。
・ダビデは600人、サウルは3千の兵を率いる。もうだめだと思われた時、ペリシテ人の大規模侵攻の知らせがサウルに届き、サウルはダビデ追跡をあきらめて引き返す。主の御手が再び働いた。
−サムエル記上23:27-28「そのとき、使者がサウルのもとに来て『急いでお帰りください。ペリシテ人が国に侵入しました』と言った。サウルはダビデを追うことをやめて、ペリシテ人の方に向かった」。

3.サウルを殺さないダビデ

・サウル王から命を狙われたダビデは荒野を逃走する。サウルは三千の兵を率いてダビデ討伐のために再度出征する。途中サウルは用足しのために洞窟に入るが、そこはダビデと兵が隠れていた。ダビデの部下は言った「サウルを殺す絶好の機会が来ました」。ダビデは剣を持ってサウルに近づくが、彼を殺さなかった。
−サムエル記上24:4-5「途中、羊の囲い場の辺りにさしかかると、そこに洞窟があったので、サウルは用を足すために入ったが、その奥にはダビデとその兵たちが座っていた。ダビデの兵は言った『主があなたに、私はあなたの敵をあなたの手に渡す。思いどおりにするがよいと約束されたのは、この時のことです』。ダビデは立って行き、サウルの上着の端をひそかに切り取った」。
・ダビデはサウルを殺そうとしたが、思い直す。「主が油を注がれた方を殺すことは主がお許しにならない」。
−サムエル記上24:6-7「ダビデはサウルの上着の端を切ったことを後悔し、兵に言った『私の主君であり、主が油を注がれた方に、私が手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない。彼は主が油を注がれた方なのだ』」。
・ダビデは洞窟を出たサウルに和解を呼びかける。
−サムエル記上24:8-16「今日、主が洞窟であなたを私の手に渡されたのを、あなた御自身の目で御覧になりました。あなたを殺せと言う者もいましたが、あなたをかばって、『私の主人に手をかけることはしない。主が油を注がれた方だ』と言い聞かせました。わが父よ、あなたの上着の端が私の手にあります。私は上着の端を切り取りながらも、あなたを殺すことはしませんでした・・・主が裁き手となって、私とあなたの間を裁き、私の訴えを弁護し、あなたの手から私を救って下さいます様に」。
・この言葉にサウル王は泣いて悔い改める。
−サムエル記上24:17-22「お前は私より正しい。お前は私に善意を持って対し、私はお前に悪意をもって対した。・・・主が私をお前の手に引き渡されたのに、お前は私を殺さなかった。・・・今私は悟った。お前は必ず王となり、イスラエル王国はお前の手によって確立される。主によって私に誓ってくれ。私の後に来る私の子孫を断つことなく、私の名を父の家から消し去ることはない、と。」

4.サムエル記上23-24章の黙想

・ダビデは何故サウルを殺さなかったのだろうか。サウルはダビデにあらぬ疑いをかけ、彼の命を付けねらった敵であり、殺せばダビデの命は安泰になり、王位も彼のものになる。しかし、ダビデはサウルを殺さなかった。ダビデは「歴史は主が導かれている」と信じた。だから「主が選ばれた人を私は殺さない。もし、サウルが王としてふさわしくなければ、主がサウルを取り除かれるだろう」と信じた。私たちも歴史をどのように理解するかで、行動が変わってくる。歴史は主により導かれているのか、それとも偶然性の連続なのか。もし、歴史が偶然性の連続であれば、今ここでサウルを殺して彼が王になれば良い。それが人間の選んできた歴史だ。しかし、もし歴史が主に導かれているものであれば、主の許しなしに行う行為は罪となり、ダビデの生涯は呪われたものになる。これが摂理の信仰、歴史を導かれる主の御心に従う信仰だ。ダビデは自分を殺そうとするサウルを主の裁きに委ねた。主が裁いてくださるから、自らの手で敵を殺す必要がなかった。
・ダビデのしたことは、善を持って悪に対処しようとしたことだ。「主が油を注がれた方を私は殺さない」。復讐は主に委ねる、悪に報いるに悪を持ってしない。パウロがローマ12章で人々に教えたことも同じだ。
―ローマ12:19-21「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。復讐は私のすること、私が報復すると主は言われると書いてあります。あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい」。
・サウルは悔い改めたように見えたが、この後もダビデの命を狙う。キング牧師は「敵を愛せ」と非暴力の黒人解放運動を進めたが、彼自身は白人に殺されている。現実の世界は「善を持って悪に勝つ」を許さない。
―M.R.キング「汝の敵を愛せよ」から「イエスは汝の敵を愛せよと言われたが・・・イエスは汝の敵を好きになれとは言われなかった。我々の子供たちを脅かし、我々の家に爆弾を投げてくるような人をどうして好きになることが出来よう。しかし、好きになれなくても私たちは敵を愛そう。何故ならば、敵を憎んでもそこには何の前進も生まれない・・・自分たちのためにも憎しみを捨てよう。愛は贖罪の力を持つ。愛が敵を友に変えることの出来る唯一の力なのだ」。
・それにもかかわらず主の計画は進行する。キング誕生日はアメリカの祝日となり、ダビデはイスラエルの王となる。イエスは悪に報復せず十字架で死なれた。無意味に思われた十字架が救いであったことをその後の歴史は示す。
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