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2018年11月1日祈祷会(サムエル記上16章、ダビデへの油注ぎ)

1.ダビデへの油注ぎ

・サムエルはサウルに油を注いで王に任命したが、サウルは主に背き、祝福はサウルから去った。サムエルはサウルのことを嘆くが、主はサムエルに、「新しく王となるべき者を見出したので、彼に油を注げ」と命じられる。
−サムエル記上16:1「主はサムエルに言われた『いつまであなたは、サウルのことを嘆くのか。私は、イスラエルを治める王位から彼を退けた。角に油を満たして出かけなさい。あなたをベツレヘムのエッサイのもとに遣わそう。私はその息子たちの中に、王となるべき者を見出した』」。
・サムエルはためらうが、主の言葉に従い、ベツレヘムのエッサイの子どもたちに会う。その中に候補がいると知らされたからだ。長男エリアブを見た時、彼は「この人こそその人だ」と思った。
−サムエル記上16:5-6「サムエルはエッサイとその息子たちに身を清めさせ、生贄の会食に彼らを招いた。彼らがやって来ると、サムエルはエリアブに目を留め、彼こそ主の前に油を注がれる者だ、と思った」。
・しかし主は「違う」といわれた。主はサムエルに言われた「今、我々が必要とするのは武力に優れた者ではない。神に従う心だ。力は神から来る。容姿や外見に惹かれるな。心を見よ」と主は言われる。
−サムエル記上16:7「主はサムエルに言われた『容姿や背の高さに目を向けるな。私は彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る』」。
・混乱の時には強いリーダーシップを持つ者が選ばれる。ペリシテ人を恐れなかった初代王サウルのような勇者だ。しかし、今必要な人材は、主に仕える者、自分が未熟であることを知る者だ。選ばれたのは、元服前の少年ダビデだった。
−サムエル記上16:10-12「エッサイは七人の息子にサムエルの前を通らせたが、サムエルは彼に言った『主はこれらの者をお選びにならない』。サムエルはエッサイに尋ねた『あなたの息子はこれだけですか』。『末の子が残っていますが、今、羊の番をしています』とエッサイが答えると、サムエルは言った『彼を連れて来させてください』・・・エッサイは人をやって、その子を連れて来させた。彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた『立って彼に油を注ぎなさい。これがその人だ』」。
・ダビデは聖別され、王として立たされた。しかし、日常生活は変わらない。彼は相変わらず羊飼いで、兄たちに仕える弟だ。聖書は「その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった」(16:13)と記すが、生活は変わらない。ダビデも自分は本当に選ばれたのだろうかと疑問を持ったであろうが、主の導きを待った。
−サムエル記上16:13「サムエルは油の入った角を取り出し、兄弟たちの中で彼に油を注いだ。その日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った」。

2.サウルとダビデ

・他方、主の霊が離れたサウロは悪霊に悩まされる。現代でいう「うつ病」と思われる。
−サムエル記上16:14「主の霊はサウルから離れ、主から来る悪霊が彼をさいなむようになった。」
・サウルはうつ病のために落ち込むようになり、側近は慰めるために琴の名手を王宮に上げるように進言する。そしてダビデが竪琴奏者として、宮廷でサウルに仕えるようになる。
−サムエル記上16:15-21「サウルの家臣はサウルに勧めた『・・・王様、御前に仕えるこの僕どもにお命じになり、竪琴を上手に奏でる者を探させてください。神からの悪霊が王様を襲う時、おそばで彼の奏でる竪琴が王様の御気分を良くするでしょう』。・・・ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。王はダビデが大層気に入り、王の武器を持つ者に取り立てた」。
・かつて油を注がれた者と、新しく油を注がれた者が、共に暮らす。ダビデはやがて戦場で手柄を立て、出世していく。彼はサウル軍の武将になり、王の娘を与えられ、ペリシテとの戦いで連戦連勝する。民の人気は高まり、民は歌い始める「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」。主の選びが成就する日も近いとダビデは思ったであろう。しかし、ダビデの人気はサウルを不安にし、ダビデを殺そうとする。王の娘婿、近衛隊長までなったダビデが一転、王に追われる身となる。ダビデの王としての修行はここから始まる。
−サムエル記上18:7-11「女たちは楽を奏し、歌い交わした『サウルは千を討ち、ダビデは万を討った』。サウルはこれを聞いて激怒し、悔しがって言った『ダビデには万、私には千。あとは、王位を与えるだけか』。この日以来、サウルはダビデを妬みの目で見るようになった。次の日、神からの悪霊が激しくサウルに降り、家の中で彼をものに取りつかれた状態に陥れた。ダビデは傍らでいつものように竪琴を奏でていた。サウルは、槍を手にしていたが、ダビデを壁に突き刺そうとして、その槍を振りかざした。ダビデは二度とも、身をかわした」。
・サウルは何故王位から退けられ、ダビデは王位をまっとうできたのか。過ちを犯した時の悔い改めの在り方ではないかと思われる。サウルは過ちを犯した時、自分でそれを修復しようとし、ダビデは主の前に泣いた(詩篇51:1-4)。誰でも過ちを犯すが、過ちを認め、悔い改める時、神は赦される。「悔い改めが出来るかどうか」が人生を分ける。
−エゼキエル18:26-28「正しい人がその正しさから離れて不正を行い、そのゆえに死ぬなら、それは彼が行った不正のゆえに死ぬのである。しかし、悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。彼は悔い改めて、自分の行ったすべての背きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない」。
・私たちは実を結ぶために選ばれる。愛の実である。サウルがそのことに気づけば、違う結末があったであろう。
−ヨハネ15:16-17「あなた方が私を選んだのではない。私があなた方を選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、私の名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、私があなた方を任命したのである。互いに愛し合いなさい。これが私の命令である」。

3.サムエル記上16章の黙想

・神の選びと人の選びは異なる。選びは特権ではなく、召命だ。私たちに必要なものは強さではなく、弱さだ。召命を受ける、召されて働くとは、神の力をいただいて、弱さの中に働くことである。神が私たちを愛し、救ってくださる事を信じていく時に、弱い存在が強くなっていく。
−第一コリント27-28「神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。また、この世の取るに足りない者や見下されている者を神は選ばれました。すなわち、有る者をない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです」
・自分が神に選ばれたことを信じることはやさしい。しかし自分の敵であったり、仇であったりする相手も神に選ばれた者として遇していくのは難しい。しかし、神の選びを信じるとは、自分の命をかけてまでも、相手にある神の選びを貴んでいくことだ。ダビデは自らの手でサウルを退けず、神の時を待った。ダビデがイスラエルの王になったのはサウルと息子ヨナタンの戦死後だった。
−サムエル記下1:23-27「サウルとヨナタン、愛され喜ばれた二人、鷲よりも速く、獅子よりも雄々しかった。命ある時も死に臨んでも二人が離れることはなかった。泣け、イスラエルの娘らよ、サウルのために。紅の衣をお前たちに着せ、お前たちの衣の上に金の飾りをおいたサウルのために。ああ、勇士らは戦いのさなかに倒れた。ヨナタンはイスラエルの高い丘で刺し殺された。あなたを思って私は悲しむ、兄弟ヨナタンよ、まことの喜び、女の愛にまさる驚くべきあなたの愛を。ああ、勇士らは倒れた。戦いの器は失われた」。
・ダビデは若くして神の選びを受け、王の婿、近衛隊長にまで上りながら、その後長い間逃亡生活を送った。長きにわたる試練がダビデを謙虚な王にした。国の領土が広がり、名君と評判になってもダビデは傲慢にはならなかった。王位は神の委託の元にあり、彼自身のものではないことを知っていたからだ。彼は弱さからいろいろの罪を犯すが、罪を問われた時は灰をかぶって悔い改めた。神はダビデを信頼し、愛し、彼の末から神の子イエスが生まれていく。それを歌うのが、讃美歌153番「エッサイの根より」である。「エッサイの根」とは、「エッサイの子ダビデ」の意味だ。キリスト・イエスはこのダビデの末として生まれられた。
−イザヤ11:1-10「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる・・・正義をその腰の帯とし、真実をその身に帯びる・・・その日が来れば、エッサイの根はすべての民の旗印として立てられ、国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く」。
・イエスは言われた「あなたが私を選んだのではなく、私があなたを選んだ」(ヨハネ15:16)。私たちもまたダビデと同じ選びの中にある。ダビデと同じように聖別の油をバプテスマと言う形で受けた。それは私たちが「行って実を結び、その実が残るように」である。そして私たちはこの教会を形成した。しかし、教会の現実は「私たちは本当に選ばれたのだろうか」と疑う困難の中にある。私たちの生活も楽しい時より苦労の方が多いかもしれない。しかし、神がダビデを選ばれたように、私たちをも選ばれたことは、疑いようもない事実だ。私たちも、ダビデのように時を待とう。祝福を自分の手で作るようなことはせず、約束の実現を待とう。そのために今なすべき事をしよう。礼拝と祈祷会を守っていこう。神の言葉を聞き続けていこう。神の選びを信じ続けていこう。
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