すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  サムエル記上  >  2018年10月25日祈祷会(サムエル記上15章、次善のものを主に捧げる罪)


1.自分を養うサウルの罪

・サウルは王に任命されたが、主を信じきることが出来ず、ペリシテとの戦いで、自分で戦争開始の献げ物を捧げて主の信頼を失くした。そのサウルにやり直しの機会が与えられる。「アマレク人を滅ぼし尽くせ」との命令であった。
−サムエル記上15:1-3「サムエルはサウルに言った『万軍の主はこう言われる。イスラエルがエジプトから上って来る道でアマレクが仕掛けて妨害した行為を、私は罰することにした。行け。アマレクを討ち、アマレクに属するものは一切、滅ぼし尽くせ。男も女も、子供も乳飲み子も、牛も羊も、駱駝も驢馬も打ち殺せ。容赦してはならない』」。
・アマレク人は荒野を旅するイスラエルに略奪を繰り返した(申命記25:17-19)。彼らは「イスラエルの国家建設にとって癌になる故に、すべて取り除け」と主は命令された。サウルは討伐するが、王と家畜の最上のものは取っておいた。
−サムエル記上15:7-9「サウルは・・・アマレク人を討った。アマレクの王アガグを生け捕りにし、その民をことごとく剣にかけて滅ぼした。しかしサウルと兵士は、アガグ、および羊と牛の最上のもの、初子ではない肥えた動物、小羊、その他何でも上等なものは惜しんで滅ぼし尽くさず、つまらない、値打ちのないものだけを滅ぼし尽くした」。
・最上の家畜を取っておいたのは、兵もサウルも分捕り品の多さに目がくらんだからだ。主はそのようなサウルを見て、彼を王に立てたことを後悔された。サムエルはサウルのためにとりなしたが、無駄であった。
−サムエル記上15:10-11「主の言葉がサムエルに臨んだ『私はサウルを王に立てたことを悔やむ。彼は私に背を向け、私の命令を果たさない』。サムエルは深く心を痛め、夜通し主に向かって叫んだ」。
・サムエルはサウルに会い、彼を問い詰める。サウルは自己弁護を繰り返すだけだ。サムエルは絶望する。
−サムエル記上15:13-16「サムエルがサウルのもとに行くと、サウルは彼に言った『主の御祝福があなたにありますように。私は主の御命令を果たしました』。サムエルは言った『それなら、私の耳に入るこの羊の声、私の聞くこの牛の声は何なのか』。サウルは答えた『兵士がアマレク人のもとから引いて来たのです。彼らはあなたの神、主への供え物にしようと、羊と牛の最上のものを取って置いたのです。他のものは滅ぼし尽くしました』。サムエルはサウルに言った『やめなさい。あなたに言わねばならないことがある。昨夜、主が私に語られたことだ』」。
・人間は自分のために最良のものをとっておき、神に捧げるのは次善のものだ。その時、主の恵みは私たちを去る。
−ハガイ1:2-9「万軍の主はこう言われる。この民は、『まだ、主の神殿を再建する時は来ていない』と言っている・・・今、お前たちは、この神殿を廃虚のままにしておきながら、自分たちは板ではった家に住んでいてよいのか・・・山に登り、木を切り出して、神殿を建てよ。私はそれを喜び、栄光を受けると主は言われる。お前たちは多くの収穫を期待したが、それはわずかであった。しかも、お前たちが家へ持ち帰る時、私は、それを吹き飛ばした。それはなぜか・・・私の神殿が廃虚のままであるのに、お前たちが、それぞれ自分の家のために、走り回っているからだ」。

2.心から悔い改めることの出来ないサウルの罪

・サムエルはサウルに言う「何故主に従わないのか。何故、戦利品の多さに心を奪われたのか。主が喜ばれるのは献げ物や生贄ではない。御心に従う心だ」。サムエルはサウルに「王権はあなたから離れた」と宣言する。
−サムエル記上15:17-23「サムエルは言った『主は油を注いで、あなたをイスラエルの上に王とされたのだ。主はあなたに出陣を命じ、行って、罪を犯したアマレクを滅ぼし尽くせ・・・と言われた。何故あなたは、主の御声に聞き従わず、戦利品を得ようと飛びかかり、主の目に悪とされることを行ったのか・・・主が喜ばれるのは焼き尽くす献げ物や生贄であろうか。むしろ、主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことは生贄にまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる。・・・主の御言葉を退けたあなたは王位から退けられる』」。
・神は生贄も犠牲も必要とされない。私たちに求められるのは砕けた心だ。神が私たちに生贄や犠牲を求められるのは、その行為を通して私たちが執着から解放されるためだ。献げ物を捧げることが出来ることは恵みなのだ。
−詩篇51:18-19「もし生贄があなたに喜ばれ、焼き尽くす献げ物が御旨にかなうのなら、私はそれを捧げます。しかし、神の求める生贄は打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません」。
・サウルは悔い改める。しかし、神はそれを受け入れない。彼は形だけ悔い改め、実質は人の目を気にしているだけだ。私たちが気にすべきは神の目であり、人の目ではない。
−サムエル記上15:24-30「サウルはサムエルに言った『私は、主の御命令とあなたの言葉に背いて罪を犯しました。兵士を恐れ、彼らの声に聞き従ってしまいました・・・しかし、民の長老の手前、イスラエルの手前、どうか私を立てて、私と一緒に帰ってください。そうすれば、あなたの神、主を礼拝します』」。
・私たちが神を喜ばそうとしても何も出来ない。ただ、私たちが神の言葉を喜ぶ時に、神は私たちを喜ばれる。
−ルカ15:7「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。」

3.サムエル記上15章の黙想(ダビデとサウルを分けるものは何か)

・サウロの後継の王となったのはダビデであったが、彼も何度も罪を犯している。有名な罪はサムエル記下11-12章に書かれているバテシバとの不倫とその結果としてのウリヤの殺害だ。ダビデは近隣諸国を征服し、領土を拡大していくが、ある時エルサレム王宮の屋上から湯浴みする一人の婦人を見て欲情し、彼女は宮殿に招いて寝る。彼女は兵士ウリヤの妻で夫ウリヤはアンモン人との戦いのために出征し、不在だった。バテシバの妊娠に困惑したダビデは、夫ウリヤを前線から呼び戻し、妻と寝させることによって自分の犯した悪をごまかそうとするが、ウリヤは断る。ダビデの目論見は失敗し、彼は自分の犯した悪をごまかすために、上司である将軍ヨアブに手紙を持たせ、ウリヤを最前線に立たせて死なせる。バテシバはやもめとなり、ダビデはバテシバを妻として宮殿に迎え入れ、彼女は男の子を生む。ダビデは罪を犯した。
・そのダビデの下に預言者ナタンが遣わされ、ダビデに一つの物語を語る「多くの羊や牛を持つ豊かな男が自分の羊をつぶすのを惜しみ、一匹の羊しか持たない男の羊を取り上げ、それを客に出した」。ダビデは叫ぶ「そのような無慈悲なことをした男は死罪にされるべきだ」。ナタンは言う「その男はあなただ。あなたこそがその無慈悲なことをしたのだ」。この言葉の前にダビデは頭をたれ、告白する「私は主に罪を犯しました」。
−サムエル記下12:13-14「ダビデはナタンに言った『私は主に罪を犯した』。ナタンはダビデに言った『その主があなたの罪を取り除かれる。あなたは死の罰を免れる。しかし、このようなことをして主を甚だしく軽んじたのだから、生まれてくるあなたの子は必ず死ぬ』」。
・サウロとダビデの違いは何か。共に罪を犯す。ダビデはそれを神に指摘され、裁かれ、苦しむ。その苦しみを通して神の憐れみが与えられ、また立ち上がることができた。他方サウロは、犯した罪を隠そうとする。「私が罪を犯した」と認めることが出来ないため、罪が罪として明らかにされず、裁きが為されない。裁きがないから、償いがなく、償いがないから赦しがなく、赦しがないから平安がない。「私は罪を犯した」と悔改めた時、神の祝福が始まるのである。
−詩編51:3-6「神よ、私を憐れんで下さい、御慈しみをもって。深い御憐れみをもって、背きの罪をぬぐって下さい。私の咎をことごとく洗い、罪から清めて下さい。あなたに背いたことを私は知っています。私の罪は常に私の前に置かれています。あなたに、あなたのみに私は罪を犯し、御目に悪事と見られることをしました。あなたの言われることは正しく、あなたの裁きに誤りはありません」。
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