すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  サムエル記上  >  2018年10月18日祈祷会(サムエル記上14章、愚かな指導者にどう対応するのか)

1.ヨナタンの信仰がイスラエルを救う

・ペリシテの圧倒的な大軍勢を前にイスラエルの戦意は衰え、兵は逃げ出した。また、イスラエルは十分な武器もなかった。このような劣勢を打開するために、サウルの子ヨナタンがあえて無謀な行為に出る。
−サムエル記上14:1「ある日、サウルの息子ヨナタンは自分の武器を持つ従卒に言った『さあ、渡って行き、向こう岸のペリシテ人の先陣を襲おう』。ヨナタンはこのことを父に話していなかった」。
・ヨナタンは敵の対応の中に神のしるしを求める。ヨナタンが姿を見せた時、敵が勇敢であれば追って来る。その時、彼は動かない。敵が「こちらに来い」と言うのであれば、それは数を頼む臆病があることだから攻めて行こうと彼は考えた。ヨナタンは神無き異教徒たちがイスラエルの神の軍隊を打ち破れるはずがないとの信仰を持っていた。父サウロに欠けていたのが、この信仰である。
−サムエル記上14:8-10「ヨナタンは言った「よし、あの者どもの所へ渡って行って、我々の姿を見せよう。その時、彼らが『お前たちの所へ着くまでじっとしていろ』と言うなら、そこに立ち止まり、登って行くのはよそう。もし『登って来い』と言えば、登って行くことにしよう。それは、主が彼らを我々の手に渡してくださるしるしだ」。
・ヨナタンは無謀ではない。彼は無意味に少数で大勢の敵に向かうのではなく、敵の勇気を測った上で行為しようとしている。信仰の冒険とは、人間の現実を認識した上で、それを超える神の現実を求めることだ。
−サムエル記上14:6「ヨナタンは自分の武器を持つ従卒に言った『あの無割礼の者どもの先陣の方へ渡って行こう。主が我々二人のために計らって下さるにちがいない。主が勝利を得られるために、兵の数の多少は問題ではない』」。
・ヨナタンは岩を登り、敵を倒した。予想外の敗北の報がペリシテ軍にパニックを引き起こす。その時地震が起こった。サムエル記記者は、神もヨナタンを支援されたと理解する。
−サムエル記上14:14-15「ヨナタンと従卒がまず討ち取った者の数はおよそ二十人だった。・・・恐怖が陣営でも野でも兵士全体に広がり、先陣も遊撃隊も恐怖に襲われた。地は揺れ動き、恐怖はその極に達した」。

2.愚かな行為も聖なる行為に変わりうる

・ペリシテ軍の動揺はサウル軍にもわかった。イスラエルはこの機をとらえてペリシテ軍を襲い、大勝利となる。
−サムエル記上14:20-23「兵士全員は一団となって戦場に出て行った。そこでは、剣を持った敵が同士討ちをし、大混乱に陥っていた。それまでペリシテ側につき、彼らと共に上って来て陣営に加わっていたヘブライ人も転じて・・・イスラエル軍に加わった。また、エフライムの山地に身を隠していたイスラエルの兵士も皆、ペリシテ軍が逃げ始めたと聞くと、戦いに加わり、ペリシテ軍を追った。こうして主はこの日、イスラエルを救われた」。
・ここでサウルは、「戦いが完全に勝利するまで飲食するな」という愚かな命令を出す。このため、イスラエルはペリシテを殲滅する機会を逃した。ヨナタンは父の愚かさを批判する。
−サムエル記上14:24-30「この日、イスラエルの兵士は飢えに苦しんでいた。サウルが『日の落ちる前、私が敵に報復する前に、食べ物を口にする者は呪われよ』と言って、兵に誓わせていた。・・・ヨナタンは言った『今日兵士が、敵から取った戦利品を自由に食べていたなら、ペリシテ軍の損害は更に大きかっただろうに』」。
・サウルは「夜もペリシテ軍を追おう」と命じたが、兵は拒否する。神に託宣を請うたが、返事はなかった。サウロは神と共に歩まなかったばかりでなく、イスラエル軍と心を合わせることもできなかった。
−サムエル記上14:36-37「サウルは神に託宣を求めた『ペリシテ軍を追って下るべきでしょうか。彼らをイスラエルの手に渡してくださるでしょうか』。しかし、この日、神はサウルに答えられなかった」。
・サウルは誰かが罪を犯したために神が答えてくださらないと思い、くじを引いたら、子のヨナタンにあたった。サウルはヨナタンを殺そうとするが、民の反対で思い止まる。王の愚かさよりもヨナタンの勇気を民は支持した。
−サムエル記上14:43-45「兵士はサウルに言った『イスラエルにこの大勝利をもたらしたヨナタンが死ぬべきだというのですか・・・今日、神があの方と共にいて下さったからこそ、この働きができたのです。神は生きておられます。あの方の髪の毛一本も決して地に落としてはなりません』。こうして兵士はヨナタンを救い、彼は死を免れた」。

3.イスラエルの最初の王、サウル王の光と影(空知太栄光キリスト教会ホームページから)   

・サウル王は人間的に見るならば、まことに「気の毒な人」の一語に尽きる。しかしサウルの光と影の人生から実に多くのことを学び取ることができる。彼は肉体的にも精神的にも申し分ない人であったが、霊的(信仰的)な面においてはそうではなかった。彼は王として選ばれたために、信仰的なものが厳しく要求される立場に立たされた。この点が諸外国の王とは異なる点である。この点をサウルがどのように受け止めていくかが、彼に課せられた課題であった。
・サウルが王として選ばれた目的ははっきりとしていた。それはイスラエルを脅かすペリシテ人と戦って、イスラエルに平安を与えることであった。サウルは王としての任職の油を注がれたにもかかわらず、彼が民から王としての信任を得るような実績は何も無かった。そこに思いがけないチャンスがやってきた。まさに「イスラエルの王、ここにあり」ということをあかしする出来事が起こった。その出来事とはアンモン人との戦いである。サウルは聖なる怒りに燃え、彼の呼びかけに従って総勢33万人の民が結集し、勝利を治めた。これによってサウルは王としての実績を民から正式に認められた。しかしこの信任は神から見るならば危ういものであった。
・13章を境にサウル王は急速に降下していく。宿敵ペリシテ人との戦いにおいて、敵の勢力を見たイスラエルの民は人間的には勝ち目のない戦いであることを悟り、3千人の兵士が次々と脱落していき、ついに6百人しか残らなかった。13章では、サウルは指示を待つことなく、祭司の権限を侵して神事を自分で行った。彼はサムエルから「あなたは何と言うことをしたのか」と怒鳴られ、「あなたの王国は成り立たない」と将来を否定された。その理由は恐れのゆえである。不安を吹き消すためにサウルは行為した。不安であることが、どうして王位を退かせられる理由となるのか。それは恐れの霊が信仰の霊を締め出し、神への信頼を無にするからである。ここにサウルのイスラエルの王としての致命的な欠陥があった。「神への信頼のない、あなた王国は立たない」というのがサウルに対する神の結論であった。
・サウルは軍人としては優れていた。しかし神の民を率いるリーダーとしての信仰がなかった。そのためやがてサウルの時は終わり、ダビデが台頭してくる。
−サムエル記上14:47-52「サウルはイスラエルに対する王権を握ると、周りのすべての敵、モアブ、アンモン人、エドム、ツォバの王たち、更にはペリシテ人と戦わねばならなかったが、向かうところどこでも勝利を収めた。
彼は力を振るい、アマレク人を討ち、略奪者の手からイスラエルを救い出した・・・サウルの一生を通して、ペリシテ人との激戦が続いた」。
・主が喜ばれるのは捧げものや生贄ではなく、「主の御声に従う」ことであることをサウルは知らなかった。
−サムエル記上15:22「サムエルは言った『主が喜ばれるのは、焼き尽くす献げ物や生贄であろうか。むしろ主の御声に聞き従うことではないか。見よ、聞き従うことは生贄にまさり、耳を傾けることは雄羊の脂肪にまさる』」。
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