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トップ  >  サムエル記上  >  2018年9月13日祈祷会(サムエル記上5-6章、偶像礼拝と真実の礼拝)


1. 奪われた契約の箱

・イスラエルはペリシテ軍との戦いに勝利するために、シロの神殿より「主の契約の箱」を持ち出し、戦闘の前面に押し立てた。しかし、戦闘は破れ、契約の箱はペリシテ軍に奪い取られてしまった。
−サムエル記上4:10-11「ペリシテ軍は戦い、イスラエル軍は打ち負かされて、それぞれの天幕に逃げ帰った。打撃は非常に大きく、イスラエルの歩兵三万人が倒れた。神の箱は奪われ、エリの二人の息子ホフニとピネハスは死んだ」。
・奪われた契約の箱はペリシテの町アシュドドに運ばれ、偶像神ダゴンの神殿に運ばれた。ダゴンは穀物や豊穣をつかさどる地方神であった。古代世界ではそれぞれの神が自分の勢力範囲を持つと信じられた。しかし不思議なことが起こる。一度ばかりか二度もダゴンの像が倒され、しかも契約の箱を拝むようにして倒された。イスラエルの神は全知全能の神であることが示されたとサムエル記は記す。
−サムエル記上5:1-4「ペリシテ人は神の箱を奪い、エベン・エゼルからアシュドドへ運んだ。ペリシテ人は神の箱を取り、ダゴンの神殿に運び入れ、ダゴンのそばに置いた。翌朝、アシュドドの人々が早く起きてみると、主の箱の前の地面にダゴンがうつ伏せに倒れていた・・・その翌朝、早く起きてみると、ダゴンはまたも主の箱の前の地面にうつ伏せに倒れていた。しかもダゴンの頭と両手は切り取られて敷居のところにあり、胴体だけが残されていた」。
・アシュドドの町では、伝染性の腫れ物(疫病)が発生し、人々を苦しめた。七十人訳聖書には、「そして彼らの土地にねずみが出現し、町中に死と破滅があった」と補足がある。ペストを疑わせる記述である。
−サムエル記上5:6「主の御手はアシュドドの人々の上に重くのしかかり、災害をもたらした。主はアシュドドとその周辺の人々を打って、はれ物を生じさせられた」。
・主の箱をガトに移したところ、そこでも疫病が発生した。
−サムエル記上5:9「箱が移されて来ると、主の御手がその町に甚だしい恐慌を引き起こした。町の住民は、小さい者から大きい者までも打たれ、はれ物が彼らの間に広がった」。
・エクロンに送ったところ、そこでも疫病が発生し、人々は死の恐怖に怯えた。
−サムエル記上5:11-12「町全体が死の恐怖に包まれ、神の御手はそこに重くのしかかっていた。死を免れた人々もはれ物で打たれ、町の叫び声は天にまで達した」。

2.契約の箱の帰還

・ペリシテ人は箱に象徴される主の力が、災いの原因だと判断し、主の箱をイスラエルに送り返すことにした。彼らは金で造ったねずみと腫れ物を車に乗せて、主の箱と共にイスラエルに送り返した。イスラエルは箱の帰還を喜んだ。
−サムエル記上6:15「レビ人たちは主の箱と、その脇に置いてあった金の品物の入った箱とを下ろし、大きな石の上に置いた。その日ベト・シェメシュの人々は、焼き尽くす献げ物や、他の生贄を主にささげた」。
・しかし主の箱を覗いた70人は疫病にかかったという。ペリシテ人を苦しめた疫病の菌に感染し、発病したのであろう。当時の人々はこれを「主が打たれた」と理解した。
−サムエル記上6:19-21「主はベト・シェメシュの人々を打たれた。主の箱の中をのぞいたからである。主は五万のうち七十人の民を打たれた。主が民に大きな打撃を与えられたので、民は喪に服した。ベト・シェメシュの人々は言った。『この聖なる神、主の御前に誰が立つことができようか。我々のもとから誰のもとへ行っていただこうか。』彼らはキルヤト・エアリムの住民に使者を送って言った。『ペリシテ人が主の箱を返してきました。下って来て、主の箱をあなたがたのもとに担ぎ上ってください。』」
・神を信じないペリシテ人はおろか、神を信じるユダヤ人もまた、自分たちのところから主の契約の箱を去らせようとした。これ以上災いが起こってはならない、と考えたのであろう。やがて箱はキルヤト・エアリムの町に保管され、アミナダブの子エルアザルがこれを守った。
−サムエル記上7:1「キルヤト・エアリムの人々はやって来て、主の箱を担ぎ上り、丘の上のアビナダブの家に運び入れた。そして、アビナダブの息子エルアザルを聖別して、主の箱を守らせた」。


3.主の箱が意味するもの〜偶像礼拝

・イスラエルの人々は、主の箱さえあれば、戦争に勝てると思い込み、それを前面に押し立てて戦った。その時彼らは、神の力を自分たちのために用いるという偶像崇拝の罪を犯した。そのため、主はイスラエルを打たれた。神は神であり、人は被造物に過ぎないことを知るために、イスラエルは戦争に負けて多くの者が死ぬという悲劇に見舞われる。
−出エジプト記20:2-7「私は主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、私を置いてほかに神があってはならない。あなたはいかなる像も造ってはならない・・・あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。私は主、あなたの神。私は熱情の神である・・・あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。みだりにその名を唱える者を主は罰せずにはおかれない」。
・この偶像崇拝は現代でも起こる。「主よ、主よ」と叫べば天国に行けると考える人々も、偶像崇拝者である。
−マタイ7:21-23「私に向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。私の天の父の御心を行う者だけが入るのである。かの日には、大勢の者が私に『主よ、主よ、私たちは御名によって預言し、御名によって悪霊を追い出し、御名によって奇跡をいろいろ行ったではありませんか』と言うであろう。そのとき、私はきっぱりとこう言おう『あなたたちのことは全然知らない。不法を働く者ども、私から離れ去れ』」。
・偶像崇拝はまたご利益宗教である。ペリシテ人は自分たちの偶像神に主を加えようとして裁きを受けた。ヨブの罪も自分の知恵の限界をわきまえず、神を批判したところにあった。
−ヨブ記42:1-6「ヨブは主に答えて言った「あなたは全能であり、御旨の成就を妨げることはできないと悟りました・・・私には理解できず、私の知識を超えた、驚くべき御業をあげつらっておりました・・・あなたのことを、耳にしてはおりました。しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。それゆえ、私は塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます」。
・人は平和の時には神を求めない。神などいなくとも暮らしていけるからで、世の出来事に一喜一憂して人生を送る。しかし、ある時、苦難が与えられる。苦難を与えられた人は、最初はその苦しみを自分では解決しようとし、次には他の人の助力を求め、どうしようもなくなった時初めて、神を求め、神は求められた時には答えられる。人間の力が絶えた所から神の力が働く。苦難こそ神が与えられる祝福であることを、イスラエルの民の歴史は示している。
−E.ケーゼマン「信仰は常に自然的諸可能性の墓場を乗り越えて成長する」。
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