1.ルツとナオミを贖うボアズ

・ ボアズはルツの求めに応えて、ナオミとルツの買戻しを決意する。しかし、彼よりも近い近親者(ゴーエール)がいたのでまずその人との交渉が必要だった。ボアズは町の広場で彼と交渉する。
−ルツ記4:1-4「ボアズが町の門のところへ上って行って座ると、折よく、ボアズが話していた当の親戚の人が通り過ぎようとした・・・ボアズはその親戚の人に言った。『モアブの野から帰って来たナオミが、私たちの一族エリメレクの所有する畑地を手放そうとしています・・・もしあなたに責任を果たすおつもりがあるのでしたら、この裁きの座にいる人々と民の長老たちの前で買い取ってください。もし責任を果たせないのでしたら、私にそう言ってください。それなら私が考えます。責任を負っている人はあなたのほかになく、私はその次の者ですから。』」
・最近親者はエリメレクの畑の買戻しに同意したが、それが未亡人ルツと結婚して、エリメレクの相続者を起こす義務まで含むものであることを知ると、しり込みした。
−ルツ記4:5-6「ボアズは続けた。『あなたがナオミの手から畑地を買い取る時には、亡くなった息子の妻であるモアブの婦人ルツも引き取らなければなりません。故人の名をその嗣業の土地に再興するためです。』すると親戚の人は言った。『そこまで責任を負うことは、私にはできかねます。それでは私の嗣業を損なうことになります。親族として私が果たすべき責任をあなたが果たしてくださいませんか。そこまで責任を負うことは、私にはできかねます。』」
・土地だけであれば、いずれそれは自分のものになるし、耕作して収穫すれば得をする。しかし、ルツが一緒であるとなると話は別である。土地のために大金を支払い、生まれた子に亡き夫の名を継がせて土地を返すことになる。何のメリットもない。贖いの制度は、相続すべき息子がいなくて家が絶えることを防ぐために、一番近い親族の男子が寡婦となった女と結婚して一家を再興する制度である。最近親者はそこまでの負担を負いたくないため、権利をボアズに譲渡する。
−ルツ記4:9-10「ボアズはそこで、長老とすべての民に言った。『あなたがたは、今日、私がエリメレクとキルヨンとマフロンの遺産をことごとくナオミの手から買い取ったことの証人になったのです。また、私はマフロンの妻であったモアブの婦人ルツも引き取って妻とします。故人の名をその嗣業の土地に再興するため、また故人の名が一族や郷里の門から絶えてしまわないためです。あなたがたは、今日、このことの証人になったのです。』」
・こうしてボアズはルツと結婚し、ルツは男の子を産んだ。「みごもらせる」と訳された言葉は、「与える」という意味の動詞「ナータン」と「受胎、妊娠、はらむこと」を意味する名詞の「ヘラーヨーン」が合わさったものだ。受胎させた主体である「主」が強調されている。ルツ記4章13節のように「主は彼女をみごもらせた」という表現はとても珍しい。あえて「主は彼女をみごもらせた」としているところに神の意図的な介入が強調されている。
−ルツ記4:13「ボアズはこうしてルツをめとったので、ルツはボアズの妻となり、ボアズは彼女のところに入った。主が身ごもらせたので、ルツは男の子を産んだ。」
・ナオミは再び息子を持った。ルツの子はナオミの養子となり、エリメレク家を再興する。私を「マラ=苦しみ」と呼べと言ったナオミが、再び「ナオミ=快い」に戻された。
−ルツ記4:14-15「女たちはナオミに言った。『主をたたえよ。主はあなたを見捨てることなく、家を絶やさぬ責任のある人を今日お与えくださいました。どうか、イスラエルでその子の名があげられますように。その子はあなたの魂を生き返らせる者となり、老後の支えとなるでしょう。あなたを愛する嫁、七人の息子にもまさるあの嫁がその子を産んだのですから。』」

2.人の偶然と神の必然

・ルツから生まれた子がオベドであり、オベドからエッサイが生まれ、エッサイからダビデが出て、このダビデの家系から、イエス・キリストが出る。神は正に「この石ころからでもアブラハムの子を起こすことが出来る」(ルカ3:8)方だ。
−ルツ記4:17「近所の婦人たちは、ナオミに子供が生まれたと言って、その子に名前を付け、その子をオベドと名付けた。オベドはエッサイの父、エッサイはダビデの父である」。
・オベドからダビデまで百年の時があり、ダビデからイエスまで千年の時が流れる。ナオミもルツも自分たちの家系から王が生まれ、救い主が生まれたことを知らない。彼らは約束のものはいただかなかったが、はるかにそれを仰ぎ見た。
−ヘブル11:13「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです」。
・ボアズはルツを贖い、その行為を通して、神はイエスを地上に送られた。贖ったのはボアズではなく、神であった。神は人を通して、その憐れみの業をされるのである。私たちが召されたことの意味がそこにあるならば、私たちも贖われたままで満足することは出来ない。贖われたものは次には贖うものになっていくのだ。
−ヘブル5:12-6:2「実際、あなたがたは今ではもう教師となっているはずなのに、再びだれかに神の言葉の初歩を教えてもらわねばならず、また、固い食物の代わりに、乳を必要とする始末だからです。乳を飲んでいる者はだれでも、幼子ですから、義の言葉を理解できません。固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです。・・・キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう」。

3.ルツ記の福音

・ボアズがルツを贖う決断をした時、町の長老たちが祝福を与えた。「ラケルとレアの二人のようにされますように、タマルがユダに産んだペレツの家のようになりますように」。いずれも多産の祝福であろう。
−ルツ記4:11-12「門のところにいたすべての民と長老たちは言った。『そうです、私たちは証人です。あなたが家に迎え入れる婦人を、どうか、主がイスラエルの家を建てたラケルとレアの二人のようにしてくださるように。また、あなたがエフラタで富を増し、ベツレヘムで名をあげられるように。どうか、主がこの若い婦人によってあなたに子宝をお与えになり、タマルがユダのために産んだペレツの家のように、御家庭が恵まれるように。』」。
・結婚とは神の祝福のもとに子孫を継承していく働きである。ルツ記は生命の継承でその最後を飾る。神ご自身の大きな計画の中で、私たち一人一人の幸せも形作られている。
−ルツ記4:18-22「ペレツの系図は次のとおりである。ペレツにはヘツロンが生まれた。ヘツロンにはラムが生まれ、ラムにはアミナダブが生まれた。アミナダブにはナフションが生まれ、ナフションにはサルマが生まれた。サルマにはボアズが生まれ、ボアズにはオベドが生まれた。オベドにはエッサイが生まれ、エッサイにはダビデが生まれた。」
・エリメレク一族は飢饉のため、たまたまモアブに逃れ、そこで息子の嫁としてルツを迎える。ルツはたまたまボアズの畑に落穂拾いに行き、そこでボアズと出会った。人の偶然は神の必然だ。私たちは神の導きの中に生きている。私たちがキリスト者になったのも、個人的に見れば偶然だ。しかし、天から見れば必然だ。神の必然を私たちは「摂理」と呼ぶ。
−ヨハネ15:16「あなた方が私を選んだのではない。私があなた方を選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、私の名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、私があなた方を任命したのである」。