1.贖い主を求めて行為するルツ

・夫を亡くして故郷に帰ったナオミとルツは落穂拾いで生計を立てようとする。嫁ルツが働いた畑はたまたま親戚ボアズの畑であり、事情を知ってルツに親切を施したボアズの行為に、姑ナオミは神の計画を感じ始める。
−ルツ記2:20「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主が、その方を祝福されますように・・・その方は私たちの近親者で、しかも買い戻しの権利のある私たちの親類の一人です。」
・「買い戻しの権利のある親類」、買戻す=ゴーエール、贖うとの意である。律法では、近親者が土地をなくしたり、奴隷になった場合は、縁続きの者が買い戻すように定められていた。
−レビ記25:25「もし、あなたの兄弟が貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。」
・姑ナオミはルツに「あなたが幸せになる落ち着き先」を探してきたと語る。「身の落ち着き先」、当時の女性にとっての幸せは、結婚によって得られる精神的な落ち着き、安住できる場所を持つことであった。
−ルツ記3:1-4「私の娘よ、私はあなたが幸せになる落ち着き先を探してきました。あなたが一緒に働いてきた女たちの雇い主ボアズは私たちの親戚です。あの人は今晩、麦打ち場で大麦をふるい分けるそうです。体を洗って香油を塗り、肩掛けを羽織って麦打ち場に下って行きなさい。・・・あの人が休む時、その場所を見届けておいて、後でそばへ行き、あの人の衣の裾で身を覆って横になりなさい。その後すべきことは、あの人が教えてくれるでしょう。」
・ナオミはルツの方からボアズの床に入る(求婚すること)を勧めた。女性の方から積極的に行動するという思い切った行為であるが、ルツはその通りにした。体を洗って油を塗り、相手の床に入ることは求婚の行為であり、男性が自分の衣の裾を広げて、女性を覆うことは、妻として受け入れることを意味した
−ルツ記3:7-9「ボアズは食事をし、飲み終わると心地よくなって、山と積まれた麦束の端に身を横たえた。ルツは忍び寄り、彼の衣の裾で身を覆って横になった。夜半になってボアズは寒気がし、手探りで覆いを捜した。見ると、一人の女が足もとに寝ていた。『お前は誰だ』とボアズが言うと、ルツは答えた。『私は、あなたのはしためルツです。どうぞあなたの衣の裾を広げて、このはしためを覆ってください。あなたは家を絶やさぬ責任のある方です。』」
・ボアズはルツを見出して驚く。ボアズは裕福な有力者だったが、年齢的には父親の年であり、男やもめだった。ボアズはルツの行為が情欲に動かされたものでないことを知り(「あなたは家を絶やさぬ責任のある方=ゴーエール」とルツは語る)、心を動かされる。
−ルツ記3:10-13「私の娘よ。どうかあなたに主の祝福があるように。あなたは、若者なら、富のあるなしにかかわらず追いかけるというようなことをしなかった。今あなたが示した真心は、今までの真心よりまさっています。私も家を絶やさぬ責任のある人間ですが、実は私以上にその責任のある人がいる。今夜はここで過ごしなさい。明日の朝その人が責任を果たすというのならそうさせよう。しかし、それを好まないなら、主は生きておられる。私が責任を果たします。さあ、朝まで休みなさい。」
・ボアズは「神がルツの忠誠に報いて下さるように」と語った。衣の裾カーナーフは翼を意味する。ルツが自分の翼の下に避け所を求めてきた行為にボアズは感動し、自分にできる最大をすると決意する。
−詩編57:2「憐れんでください、神よ、私を憐れんでください。私の魂はあなたを避けどころとし、災いの過ぎ去るまで、あなたの翼の陰を避けどころとします。

2.贖われるナオミとルツ

・翌朝、ルツは姑ナオミの待つ家に帰った。ナオミもまた夜通し起きて、結果を待っていた。ボアズより近しい近親者がいたことは意外であったが、「為すべきことを為したのだから後は主に委ねよう」と、姑は嫁に言った。
−ルツ記3:18「私の娘よ、成り行きがはっきりするまでじっとしていなさい。あの人は、今日中に決着がつかなければ、落ち着かないでしょう。」
・ルツの行為は舅によって子を得たタマルの行為に似ている。タマルも家を絶やさぬように、贖いを求めて行為している。
−創世記38:18「ユダはそれを渡し、彼女の所に入った。彼女はこうして、ユダによって身ごもった」。
・マタイ福音書のイエスの系図中には4人の女性が登場するが、いずれも積極的に贖いを求めた女性たちだ。
−タマル=ユダの長子エルの妻となり、エルが死ぬと弟オナンの妻となった。オナンも死ぬが、舅ユダは、弟シェラと結婚させようとしなかった。彼女は、遊女を装って舅ユダと結ばれ、ペレツとゼラフを産んだ。
−ラハブ=エリコの遊女。ヨシュアが遣わした2人の斥候をかくまい助けた。ヨシュアは、それに感謝し、ラハブに夫を与えた(ヨシ6:22‐25)。そのラハブからボアズが生まれる。
−ルツ=モアブの女。エリメレク、ナオミ夫妻の子マフロンと結婚したが、義父と夫に先立たれて、故郷に帰るナオミに従ってベツレヘムに行き、姑ナオミを助けた。エリメレクの親族の一人であるボアズと知り合い、ボアズはルツをめとり、ルツはエッサイの父であるオベデを産んだ。
−バテシバ=ヘテ人ウリヤの妻であったが、夫ウリヤが戦場にいる時ダビデ王に召し入れられて妊娠し、ダビデはウリヤを殺しバテシバを妻とした。バテシバは後にソロモンを産んだ。
・創世記は男のいない状況下で父の子種を用いて子を残そうとしたロトの娘たちの行為も肯定している。
−創世記19:30-38「ロトはツォアルを出て、二人の娘と山の中に住んだ・・・彼は洞穴に二人の娘と住んだ。姉は妹に言った。『父も年老いてきました。この辺りには、世のしきたりに従って、私たちのところへ来てくれる男の人はいません。さあ、父にぶどう酒を飲ませ、床を共にし、父から子種を受けましょう。』・・・このようにして、ロトの二人の娘は父の子を身ごもり、やがて、姉は男の子を産み、モアブ(父親より)と名付けた。彼は今日のモアブ人の先祖である。妹もまた男の子を産み、ベン・アミ(私の肉親の子)と名付けた。彼は今日のアンモンの人々の先祖である。」。
・このモアブ人の子孫がルツであり、彼女の血はイエスにもつながる。人間の倫理を超えたダイナミックな福音がここにある。古代の系図は通常は男性だけで構成されるが、ここに異邦人であり、また性的不道徳が批判されかねない女性たちが記される。イエスの系図の中にこの世の倫理では避難されるが、それ以上の神の憐れみを求め続けた人たちがいたことをマタイは指し示している。
−マタイ1:2-6「アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダ・・・を、ユダはタマルによってペレツとゼラを・・・サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ・・・ヤコブはマリアの夫ヨセフをもうけた。このマリアからメシアと呼ばれるイエスがお生まれになった」。

3.ルツ記三章の福音

・二子玉川キリスト教会・福井誠牧師はルツ記注解の中に記す。
−聖書1日1章から「ルツ記は、同時代の士師記の記録に比べて、人間の常識的な判断や考え方が大切にされながら物事が進んでいく。ある意味で誠実な物事の進め方が、読み取れる物語である。しかし、人間の誠意だけで物事がすべて動いていくわけではない。物事が誠実になされると同時に大切なのは、神が私たちの働きをどのように導いてくださるか、ということである。」
・「ナオミはルツに言った。「私の娘よ、成り行きがはっきりするまでじっとしていなさい。」(18節)。物事はなるようにしかならない、という考えもあるが、物事はすべて神の導きによって決まって行く。だから、今手がけていること、懸案中のことがあれば、それがどうおさまるかわかるまで待つ、神がどのように働いてくださるかを見届ける気持ちを持つことが大切だ。今日も、あれやこれや、一つ一つの事柄に、神の業を見させていただくことに、心を向けていくのである。」
・矢内原忠雄はルツ記注解の中で書く「ルツ記にはナオミ、ルツ、ボアズの三人のほかに、もう一人隠れた重要な人物がいる。神である」。
−矢内原忠雄・ルツ記大意「落穂ひろいのために出かけたルツが図らずもボアズの畑に足を入れたこと、ボアズよりも順位の高い贖い人が自発的にその権利を放棄したこと(4:8)、そこに主の御手の見えざる導きがあって、すべてのことが無理なく自然に進行し、主に寄り頼む者に最も良き結果が得られた。振り返れば、ナオミとエリメレクが飢饉のためにモアブに移住したことも、零落してベツレヘムに帰ってきたことも、すべて主の摂理の中に最も美しき結果を生むための出来事であり、それがなければルツとボアズの結婚もなく、ナオミの楽しい晩年もなく、ダビデの祖父オベデの出生もなかったのであるから、信じる者にはまことにすべてのこと相働きて益を為すことを知る。此処に信じる者の平安がある。」