すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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1.落穂ひろいで生計を立てるルツ

・夫を亡くしたナオミはやはり寡婦となった息子の嫁ルツと共に、故郷のベツレヘムに帰る。二人はこれからどう生計を立てればよいかわからない。ルツは落穂拾いで当面の生活を支えようとする。
―ルツ記2:1-3「ナオミの夫エリメレクの一族には一人の有力な親戚がいて、その名をボアズといった。モアブの女ルツがナオミに、『畑に行ってみます。だれか厚意を示してくださる方の後ろで、落ち穂を拾わせてもらいます』と言うと、ナオミは、『私の娘よ、行っておいで』と言った。ルツは出かけて行き、刈り入れをする農夫たちの後について畑で落ち穂を拾ったが、そこはたまたまエリメレクの一族のボアズが所有する畑地であった」。
・モーセ律法では、生活基盤を持たない寄留者や寡婦、孤児が、落穂を拾って、生計を立てることが認められていた。イスラエルもエジプトで苦難を味わったのだから、苦難にある者を助けよとの趣旨である。
―申命記24:19-22「畑で穀物を刈り入れる時、一束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい。こうしてあなたの手の業すべてについて、あなたの神、主はあなたを祝福される・・・あなたは、エジプトの国で奴隷であったことを思い起こしなさい。私はそれゆえ、あなたに行うように命じるのである」。
・それは慈善ではない。現在の平安は主の恵みによるものであり、その恵みを受けたあなたは、「困窮者に手を閉じるな」と命じられている。
―出エジプト記22:21-23「寡婦や孤児はすべて苦しめてはならない。もし、あなたが彼を苦しめ、彼が私に向かって叫ぶ場合は、私は必ずその叫びを聞く。そして、私の怒りは燃え上がり、あなたたちを剣で殺す。あなたたちの妻は寡婦となり、子供らは、孤児となる」。
・畑の持主ボアズは、落穂ひろいをしている見知らぬ女性が、自分の親族ナオミの嫁ルツであることを知ると、彼女に好意を示す。
―ルツ記2:8-9「私の娘よ、よく聞きなさい。よその畑に落ち穂を拾いに行くことはない。ここから離れることなく、私のところの女たちと一緒にここにいなさい。刈り入れをする畑を確かめておいて、女たちについて行きなさい。若い者には邪魔をしないように命じておこう。喉が渇いたら、水がめの所へ行って、若い者がくんでおいた水を飲みなさい。」
・ルツはこの好意に感謝する。ボアズはルツのけなげな生き方を、主は嘉して下さるのだと答える。
―ルツ記2:11-12「主人が亡くなった後も、姑に尽くしたこと、両親と生まれ故郷を捨てて、全く見も知らぬ国に来たことなど、何もかも伝え聞いていました。どうか、主があなたの行いに豊かに報いてくださるように。イスラエルの神、主がその御翼のもとに逃れて来たあなたに十分に報いてくださるように。」

2.ボアズの好意

・ルツはこうして多くの落穂を拾うことが出来た。家に帰ると、姑ナオミは収穫の多さに驚く。
―ルツ記2:17-18「ルツはこうして日が暮れるまで畑で落ち穂を拾い集めた。集めた穂を打って取れた大麦は一エファほどにもなった。それを背負って町に帰ると、姑は嫁が拾い集めてきたものに目をみはった」。
・ナオミは訳を聞いて、それがボアズの親切によるものだと知ると、主に感謝した。
―ルツ記2:20「ナオミは嫁に言った『どうか、生きている人にも死んだ人にも慈しみを惜しまれない主が、その人を祝福して下さるように。その人は私たちと縁続きの人です。私たちの家を絶やさないようにする責任のある人の一人です』」。
・2:20は新共同訳では「その人は私たちと縁続きの人です」とあるが、原文は新改訳のように「買い戻しの権利のある私たちの親類」である。
―ルツ記2:20(新改訳)「生きている者にも、死んだ者にも、御恵みを惜しまれない主が、その方を祝福されますように・・・その方は私たちの近親者で、しかも買い戻しの権利のある私たちの親類の一人です。」
・買戻す=ガーアルとは贖うとの意である。律法では、近親者が土地をなくしたり、奴隷になった場合は、縁続きの者が買い戻すように定められていた。不幸な状況は終わらせなければいけないからである。
―レビ記25:47-49「あなたの同胞が貧しくなって、あなたのもとに住む寄留者ないしはその家族の者に身売りしたときは、身売りをした後でも、その人は買戻しの権利を保有する。その人の兄弟はだれでもその人を買戻すことができる。おじとかいとこも買戻すことができる。その人の一族の血縁の者も買戻すことができる」。
・分詞形ゴーエールは、買戻す者=購い主になる。エリメレクの親族ボアズは、エリメレクの土地をそのやもめと共に買戻す立場にある。ナオミは、親族のボアズがルツに親切にしたことを、主の憐れみとしてとらえた。希望の光が見えてきた。主がイスラエルをエジプトから救出されたことも、バビロン捕囚からの解放も、この「購う」という言葉が使われている。
―出エジプト6:6「イスラエルの人々に言いなさい。私は主である。私はエジプトの重労働の下からあなたたちを導き出し、奴隷の身分から救い出す。腕を伸ばし、大いなる審判によってあなたたちを贖う」。

3.ゴーエールについて(片柳福音自由教会・滝田新二牧師説教2015年11月22日から)

・「ゴーエール」の元になっているのが「ガーアル(買い戻す・贖う)」という動詞だ。この動詞はルツ記のキーワードで、旧約で103回、ルツ記で28回使われている。「ゴーエール」は「ガーアル」の名詞として使われる。「買い戻し」の教えは、レビ記に出てくる。
−レビ記25:25 「もし、あなたの兄弟が貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。」
・このゴーエール(買い戻す者・贖う者)の責任は大きいが、得するようなものは何もない。買い戻した土地から収穫できるものは相手の所有となり、残された妻を娶って子どもを得たとしても、それは死んだ夫の子孫になってしまう。土地の権利も娶った家族の所有となる。ゴーエールとしての責任は兄弟や親戚に対する愛なしには、あるいは神に従うという愛がなければ、とても履行できるものではなかった。
・ルツ記は、ボアズがゴーエ−ルであると語る。ルツ記のほかにゴーエールが重要な意味をもって用いられているのは、「イザヤ書」である。そこでは主なる神こそイスラエルにとっての「ゴーエ−ル」(贖い主)であることが示されている。バビロン捕囚で奴隷状態となったイスラエルの民を、主なる神が大きな代価を払って救われた贖いの業と理解する。
−イザヤ43:1「ヤコブよ、あなたを創造された主は、イスラエルよ、あなたを造られた主は、今、こう言われる。恐れるな、私はあなたを贖う。あなたは私のもの。私はあなたの名を呼ぶ。」
・このゴーエールが新約ギリシャ語訳に訳される時、「ルトロオー」(切る、釈放する)という言葉が使われ、イエスが自身の肉体という代価を払って罪人を贖われたその代価を「ルトロン」と言い表した。
−ローマ3:23〜24「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。」

4.贖罪論をどう理解するか(尹哲昊・韓国:長老会神学大学校教授、第六回日韓神学者学術会議から)

「キリスト教の贖罪思想の起源は、旧約聖書とユダヤ教にある。旧約聖書においては、少数あるいは一人の義人によって多くの人が救われるという思想が諸処に見られる(創世記一八・六―三〇、イザヤ書五三・一―二)。こうした思想に基づいて、後期ユダヤ主義においては義人の苦難思想や殉教者の神学といったものが発展した。すなわち、義人(殉教者)の苦難と死が多くの人を救うというものである。こうした旧約聖書やユダヤ教の伝統上の脈絡において、イエスが自らの死を多くの人の救いのためのものと考えたとしても、それはおかしなことではない。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(ヨハネ福音書一二・二四)というイエスの言葉は、このような脈絡から理解できる。その上、このような意味から「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコ一〇・四五)という言葉も、イエスの精神をよく反映するものと言い得る。」
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