すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

トップ  >  士師記  >  2018年7月5日祈祷会(士師記20−21章、神なき世界の混乱)


1.ベニヤミン族とイスラエル12部族の争い

・妻を殺されたレビ人は妻の遺体を12の部分に分け、イスラエル12部族にギブアの罪を告発した。12部族はギブアの近く、ミツパに集まり、ギブアへの制裁を決議した。
−士師記20:1-10「イスラエルの人々は皆出て来て、ダンからベエル・シェバ、またギレアドの地まで、一団となって一人の人のようになり、ミツパで主の前に集まった。イスラエルの全部族、すべての民の要職にある者たちも、神の民、剣を携えた四十万の歩兵たちの集いに参加した・・・すべての民は一人の人のように立ち上がり、こう言った。「我々はだれも自分の天幕に帰らず、だれも家に戻らない。我々が今、ギブアに対してなすべきことはこうだ・・・イスラエル全部族から百人につき十人、従って千人なら百人、一万人いれば千人を選んで糧食を調達させ、部隊をベニヤミンのギブアに行かせ、ベニヤミンがイスラエルの中で行ったすべての非道を制裁しよう。」
・彼らはベニヤミン族へ犯人の引渡しを要求したが、ベニヤミン族はこれを拒否した。
−士師記20:12-13「イスラエルの諸部族は、全ベニヤミン族に人を送って、こう告げた『あなたたちの中で行われたあの犯行はなんということか。今、あのならず者の犯人がギブアにいれば、引き渡せ。犯人を殺してイスラエルの中から悪を取り除こう』。だが、ベニヤミンの人々は、その兄弟たち、イスラエルの人々の声を聞こうとはしなかった」。
・全イスラエルは制裁のために軍を起こして、ベニヤミン族を攻めた。内戦の始まりである。
−士師記20:17-19「イスラエルの人も・・・剣を携えた兵士四十万で、彼らは皆、軍人であった。彼らは立ち上がってベテルに上った・・・翌朝、イスラエルの人々は行動を起こし、ギブアに対して陣を敷いた」。
・戦いは当初ベニヤミン族が優位で、イスラエルは大きな犠牲を出した。
−士師記20:21-25「ベニヤミンの人々はギブアから出撃して、その日、二万二千人のイスラエル兵を地に打ち倒した・・・ベニヤミンは、二日目にもギブアから出撃してそれを迎え撃ち、またもイスラエルの人々一万八千人を地に打ち倒した。彼らは皆、剣で武装した者であった。」
・敗戦したイスラエルは主のみ前に座り込んで泣いた。主は彼らを励まされる。
−士師記20:26-28「イスラエルの人々は皆、そのすべての軍団と共にベテルに上って行き、主の御前に座り込んで泣いた。その日、彼らは夕方まで断食し、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物を主の御前にささげた・・・イスラエルの人々は言った『兄弟ベニヤミンとの戦いに、再び繰り返して出陣すべきでしょうか。それとも控えるべきでしょうか』。主は言われた『攻め上れ。明日、私は彼らをあなたの手に渡す』」。
・戦いはイスラエルの勝利となり、ベニヤミン族は男も女も殺され、ギブアを手始めに町々は焼かれた。徹底した聖絶がなされ、生き残ったベニヤミンの男は600人に過ぎなかった。
−士師記20:46-48「この日、ベニヤミンの全戦死者は剣を携える者二万五千人で、彼らは皆、軍人であった。六百人が荒れ野のリモンの岩場に逃げ・・・た。一方、イスラエル人はベニヤミンの人々のところに戻って来て、町の男たちから家畜まで、見つけしだい、残らず彼らを剣で撃ち、どの町にも見つけしだい火を放った」。

2.ベニヤミン族を回復させるために犯された罪

・イスラエルはベニヤミン族の大半を殺した。彼らは12族の一つを壊滅的に攻撃したことを悔い始める。
−士師記21:2-4「民はベテルに帰って、夕方まで神の御前に座り、声をあげて泣き叫んだ。『イスラエルの神、主よ。なぜイスラエルにこのようなことが行われ、今日イスラエルから一つの部族が欠けることになったのですか』。翌日、朝早く民は起きて、そこに祭壇を築き、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげた」。
・彼らは自分たちの知恵でベニヤミン族を救おうとする。戦いに参加しなかったギレアドのヤベシュを襲い、処女400人を捕虜とし、生き残ったベニヤミンの男に与える。ベニヤミン族を救うために他の部族の殺戮が行われた。
−士師記21:10-12「共同体は一万二千人の兵を派遣することにし、彼らにこう命じた『行って、ギレアドのヤベシュの住民を女や子供に至るまで剣にかけよ』・・・彼らはこうして、ギレアドのヤベシュの住民の中に男と寝たことのない処女の娘四百人を見いだし、カナンの地にあるシロの陣営に連れ帰った」。
・それでも妻の数が足りない。人々はベニヤミンの男たちにシロの娘を襲ってかどわかすことを勧める。
−士師記21:23-24「ベニヤミンの人々はそのようにした。彼らは踊っている女たちを奪い、その中から自分たちの数だけ連れ去って、自分の嗣業の地に帰り、町を築き、そこに住んだ。イスラエルの人々もそのときそこを去り、それぞれ自分の部族、自分の氏族のもとに帰って行った」。
・士師記の最後の言葉は「イスラエルには王がなく、彼らは自分の目に正しいことを行っていた」という言葉だ。神の民も、神の言葉を聞かずに、自分勝手な行為をすれば混沌が生じることを著者は強調する。
−士師記21:25「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」。

3.この物語をどう読むか

・一人の女性の死が、イスラエル12部族に内戦を引き起こし、万人を越す死者をもたらし、その回復のために他の人々が殺されていく。このような出来事が現在でも起きている。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のさなか、多くのムスリム女性たちが暴行を受け、妊娠し、子を推定2万人とされる子が生まれた。
−ユーゴスラビア国際戦犯法廷の判決から「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のさなか、東部ではセルビア人勢力が、非セルビア人の市民を攻撃していた。町や村はセルビア人の手に落ちると、セルビア人勢力、軍や警察、準軍事組織、そして時にはセルビア人の村人までもが同じパターンに従って行動した。ボスニア人の家や住宅は組織的に破壊されるか放火され、ボスニア人市民は追い込まれるか捕らえられ、時に殴打され、殺害された。男性と女性は分離され、男性の多くは強制収容所に送られた。女性らは各地の拘留地にとどめ置かれ、極めて劣悪な環境の中での生活を強いられ、繰り返し強姦されるなどの虐待を受けた。」
・この事件によって、ボスニア人市民が地域から一掃されるとともに、ボスニア人の文化など、地域に存在した痕跡はほぼ完全に払拭された。市内のすべてのモスクが破壊された。1994年1月、セルビア人当局はフォチャを「スルビニェ」(セルビア人の地)と改称した。ボスニア人女性に対する強姦は、セルビア人にとって、勝利と優越性を体現するものとなるため、ボスニア人女性は特に強姦の標的となった。加害者たちはボスニア・ヘルツェゴビナの法廷による訴追を受け、有罪判決を受けた。
・映画「見えない子供の罠(An Invisible Child's Trap)」は、集団暴行の結果生まれた子の親探しの物語だ。アレン・ムヒッチは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争下でセルビア人兵士にレイプされたムスリム女性の母親によって、生まれた直後に捨てられた。紛争終結から20年、彼は実の両親を捜す旅に出た。ムヒッチの生物学上の母親は彼を産んだ後、米国へと逃れた。父親は裁判にかけられ強姦罪で有罪となったが、翌年、無罪放免となった。ムヒッチの実母はボスニア東部の村ミルエビナの出身、村はセルビア人勢力に制圧され、彼女はレイプされ、1993年2月に男の子を生んだが、出産後に子の顔を見ることさえ拒んだ。当時30代だった彼女はその後、米国へ亡命し、結婚して2人の息子をもうけたと、監督はいう。彼女は戦争犯罪法廷の証言者として保護されているため、映画ではその名前は明かされない。
・この悲惨の現実の中でキリスト者はどうすべきなのだろう。アメリカでは9.11のテロ攻撃の報復のためにアフガニスタンやイラクに兵士たちが派遣され、住民を殺し、また自らも殺されて行った。その中で教会は、「キリストは全ての人のために贖いとして御自身を捧げられた」と声を上げた。
−グランド・ゼロからの祈り「復讐を求める合唱の中で、『敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい』と促されたイエスの御言葉に聞くことが出来ますように。キリストは全ての人のために贖いとして御自身を捧げられました。キリストはアフガニスタンの子供や女や男のために死なれました。神はアフガニスタンの人々が空爆で死ぬことを望んでおられません。国は間違っています。神様、為政者のこの悪を善に変えて下さい」(「グランド・ゼロからの祈り」、ジェームズ・マグロー、日本キリスト教団出版局)。
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