1.エフライム族ミカの罪

・士師記は17章から結論部分に入る。基本となる言葉は17:6である。神を見失って、「自分の目に正しいことをする」時、民はどのように行為するのかが、その主題になる。
−士師記17:6「そのころイスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に正しいとすることを行っていた」。
・エフライム族のミカは母の金を盗んだが呪いが怖くなり、自分の罪を母に告白した。母はその罪を咎めようともせず、そのお金で偶像を造り、拝む。
−士師記17:1-4「エフライムの山地に名をミカという男がいて、母に言った『銀千百シェケルを実は私が奪ったのです』。母は言った『私の息子に主の祝福がありますように』・・・彼が銀を母に返すと、母は銀二百シェケルを取って銀細工師に渡し、彫像と鋳像を造らせた」。
・偶像を造ることは十戒で禁止されているが、婦人は平気で偶像を造り、それを拝んで息子の祝福を求めている。「自分の目に正しいとする」とは、そのような行為だと士師記の著者は語っている。
−申命記27:15「職人の手の業にすぎぬ彫像や鋳像は主のいとわれるものであり、これを造り、ひそかに安置する者は呪われる。」それに答えて、民は皆、「アーメン」と言わねばならない。」
・ミカは神殿を自分の家に持っていた。こうした神殿はイスラエルの信仰原則を逸脱するものであった。士師記の時代、堕落したユダヤ人の生活がどんなであったのかを士師記著者は記す。ベツレヘムの寄留レビ人は職を求めてエフライムに来た。ミカは彼を雇って祭司にした。そこには神の召命も祭司の任命もない。あるのは人が自分の判断で祭司を雇い、好きな形で礼拝を行う信仰の乱れである。
−士師記17:9-13「彼は『私はレビ人で、ユダのベツレヘムから来ました。適当な寄留地を求めて歩いているのです』と答えた。ミカが『私の家に住んで、父となり、祭司となってください。あなたには年に銀十シェケル、衣服一そろい、および食糧を差し上げます』と言った・・・ミカは『レビ人が私の祭司になったのだから、今や主が私を幸せにしてくださることが分かった』と言った」。

2.ダン族の罪とその報い

・「ダンからベエル・シェバまで」、イスラエルの領地は北限をダンとし、南限をベェル・シェバとすることを意味する。しかし、はじめから北限はダンではなく、士師の時代に彼らの一部がそこに移住したからで、その経緯が士師記18章に記されている。ダン族はエルサレム南西を嗣業の地として与えられたが、カナン人とペリシテ人に追われ、新しい地を求めて、5人の斥候を出して、各地を探った。
−士師記18:1-2「ダンの人々は土地を探り、調べるために、自分たちの氏族の者でツォルアとエシュタオル出身の勇士五人を自分のところから遣わして言った『行って、土地を調べよ』。彼らはエフライムの山地のミカの家まで来た」
・斥候たちはエフライムのミカの家で一夜を過ごし、さらに進み、ライシュの町が豊かで無防備であることを知り、そこを攻めることを進言する。
−士師記18:9-12「五人は答えた『彼らに向かって攻め上ろう。我々はその土地を見たが、それは非常に優れていた・・・そこは、この地上のものが何一つ欠けることのない所だ』。ダンの氏族六百人は武器を身に帯び、ツォルアとエシュタオルから出発し、上って行って、ユダのキルヤト・エアリムに陣を敷いた」。
・途中で彼らはミカの家に立ち寄り、神々の像と祭司を盗み出す。戦いの時に加護してくれる神を欲したからだ。この祭司は雇われ祭司の典型だ。彼は利益を求めて仕える場所を変える。牧師がより良い任地を求めて異動する時、同じような問題が生じる。「羊飼いは自分の羊のために死ね」と言うのがイエスの教えである。
−士師記18:18-20「五人がミカの家に入り、彫像、エフォド、テラフィム、鋳像を奪った時、祭司は彼らに『何をするのです』と言ったが、彼らは『口に手を当てて、一緒に来てください。私たちの父となり、祭司となってください。一個人の家の祭司であるより、イスラエルの一部族、氏族の祭司である方がよいのではありませんか』と言った。祭司はこれを快く受け入れ、エフォド、テラフィム、彫像を取って、この民に加わった」。
・ミカは神々の像と祭司を奪われたのでダン族を追うが、脅されて引き下がる。ダン族の行為には信仰のかけらもなく、あるのは力の誇示だけだ。
−士師記18:24-26「ダンの人々は言った『そんなたわごとを我々に聞かせるな。さもないと、苦々しく思った連中があなたたちを打ちつけ、あなただけでなくあなたの家族も命を失うことになろう』。ダンの人々は旅を続け、ミカは彼らの方が強いと見て引き返し、家に帰った」。
・ダン族はライシュに向かい、無抵抗の民を襲い、町を焼いてそれを自分のものとした。
−士師記18:27-29「彼らはミカが造った物と彼のものであった祭司を奪って、ライシュに向かい、その静かで穏やかな民を襲い、剣にかけて殺し、町に火を放って焼いた。・・・彼らはその町を再建して住み着き、その町を、イスラエルに生まれた子、彼らの先祖ダンの名にちなんで、ダンと名付けた」。
・神は見ておられ、彼らはこの罪のために滅ぼされる。この民が捕囚されて滅びることを士師記の著者は明記する。「自分の目に正しいことをする」事がどのような結果を生むかを著者は隠さない。
−士師記18:30-31「ダンの人々は、自分たちが拝むために例の彫像を立てることにした。またモーセの孫でゲルショムの子であるヨナタンとその子孫が、その地の民が捕囚とされる日までダンの部族の祭司を勤めた。こうして、神殿がシロにあった間、ずっと彼らはミカの造った彫像を保っていた」。

3.士師記17−18章が語るものは何か

・物語の背景にはダン族やエフライム族等の北イスラエル民族の滅亡がある。北イスラエルの民は、紀元前721年にアッシリヤによって滅び、その消息を失った。この失われた10部族の回復が旧約聖書に繰り返し希望として語られる。しかし、歴代誌においても黙示録においても、ダン部族の回復は抜け落ちている。十二部族の中で偶像崇拝を一番熱心に行い、神から遠い存在になったと見られるゆえである。統一王国から離脱した北王国のヤロブアム王は、ベテルとダンに金の子牛を作って民に拝ませた。
−列王記上12:25-30「ヤロブアムは心に思った。『今、王国は、再びダビデの家のものになりそうだ。この民がいけにえをささげるためにエルサレムの主の神殿に上るなら、この民の心は再び彼らの主君、ユダの王レハブアムに向かい、彼らは私を殺して、ユダの王レハブアムのもとに帰ってしまうだろう。』彼は・・・金の子牛を二体造り、人々に言った。『あなたたちはもはやエルサレムに上る必要はない。見よ、イスラエルよ、これがあなたをエジプトから導き上ったあなたの神である。』彼は一体をベテルに、もう一体をダンに置いた。この事は罪の源となった。民はその一体の子牛を礼拝するためダンまで行った。」
・士師記17章のミカはいう。「私は主が私をしあわせにしてくださることをいま知った。レビ人を私の祭司に得たから」(13節)。神殿があり、偶像があり、祭司がある。イスラエルの伝統からすれば偶像は罪であるが、当時のカナン地方の文化からすれば、神殿、偶像、祭司は、祝福の法則が整ったというわけである。同じような宗教的変容(福音の伝統からの乖離)がアメリカのキリスト教にもあると思える。
−森本あんり「トランプ大統領は酒もタバコもしない。ギャンブルに手を出すこともない。刺激物はコーヒーすら飲まない。キリスト教の教会に通い、積極的思考を実践することで世界一の大国アメリカで人もうらやむ成功を手にした。この禁欲的に思える男の根源にはアメリカの宗教的伝統がある。トランプの奇妙な信心深さは、アメリカ的キリスト教の文脈ではけっして特殊な例ではない。世界のどの国よりもノーベル賞受賞者を生み出す科学先進国なのに未だに進化論を否定する人々が相当数いて、移民の国であることがアイデンティティであるように思えるのに強烈な排外主義が存在し、大きな政府を毛嫌いしたかと思えば大統領選挙に熱狂する。アメリカには、にわかには理解できない矛盾が数多く存在する。この矛盾を読み解くカギが『アメリカに土着化したキリスト教』にある」。(「宗教国家アメリカのふしぎな論理」から)
・アメリカにおけるキリスト教の土着化で最初に挙げられるキーワードは、『富と成功』という勝ち組の理論である。もともと聖書では神と人間の関係を、神は人間が不服従な時にも一方的に恵みを与えてくれるという、『片務契約』で理解する。ところが、ピューリタニズムがアメリカに移植される過程で、「片務契約」は『双務契約』へと転移していく。双務ということは、人間は神に従い、神は人間に恵みを与える義務がある。これは信賞必罰、ギブ・アンド・テイクの論理であり、神学的な恩恵概念からは逸脱している。この論理の行き着く先には「神の祝福を受けているならば、正しい者だ」という考え方が待ち受けている。
−森本あんり「自分は成功した。大金持ちになった。それは人びとが自分を認めてくれただけではなく、神もまた自分を認めてくれたからだ。たしかに自分も努力した。だが、それだけでここまで来られたわけではない。神の祝福が伴わなければ、こんな幸運を得ることはできなかったはずだ。神が祝福してくれているのだから、自分は正しいのだ。」(「宗教国家アメリカのふしぎな論理」から)