1.主の戦いからギデオンの戦いへ

・ミディアン軍を破ったギデオンは、ヨルダン川を越えて、追跡していく。ギデオンはガド族の町スコトの人々に支援を求めたが、人々は拒否する。
−士師記8:4-6「ギデオンはヨルダン川に着き、彼の率いる三百人と共に川を渡った。疲れきっていたが、彼らはなお追撃した。彼はスコトの人々に言った『私に従ってきた民にパンを恵んでいただきたい。彼らは疲れきっている。私はミディアンの王ゼバとツァルムナを追っているところだ』。しかし、スコトの指導者たちは『私たちがあなたの軍隊にパンを与えなければならないと言うからには、ゼバとツァルムナの手首を既に捕らえているのか』と言った」。
・スコトの町は長い間ミディアン人の支配下にあった。彼らはギデオンの貧弱な兵を見て、勝利を危ぶんだ。ギデオンは協力を拒んだスコトを呪って先を急ぐ。ペヌエルの町も同じように協力を断り、ギデオンは報復を誓う。
−士師記8:8-9「彼はそこからペヌエルに上って、同じことを要求したが、ペヌエルの人々もスコトの人々と同様の答えをした。そこで彼は、ペヌエルの人々にもこう言った『私が無事に帰って来たなら、この塔を倒す』」。
・ミディアン軍はヨルダン川東岸の奥深くまで逃げていたが、ギデオン軍が攻め、ついには王も捕らえられた。
−士師記8:10-12「ゼバとツァルムナは、約一万五千の軍勢を率いてカルコルにいた。すべて東方の諸民族の全軍勢の敗残兵であった。剣を携えた兵士十二万が、既に戦死していた。ギデオンは、ノバとヨグボハの東の天幕に住む人々の道を上って、敵の陣営を攻撃した。陣営は安心しきっていた。ゼバとツァルムナは逃げたが、彼はその後を追った。彼はこの二人のミディアンの王ゼバとツァルムナを捕らえ、その全陣営を混乱に陥れた」。
・敵を制圧したギデオンは、スコトとベヌエルの人々を殺した。これは主が命じられた戦いではなかった。6-7章の主語は「主」であったが、8章の主語は「ギデオン」である。戦いの性格が変わり始めている。
−士師記8:16-17「ギデオンは町の長老たちを捕らえ、荒れ野の茨ととげをもってスコトの人々に思い知らせた。またペヌエルの塔を倒し、町の人々を殺した」。
・ギデオンは三百人の兵士たちと一緒に追撃を続けていたが、その途上、自分たちに協力をしなかったスコテとペヌエルの人々には手厳しい処罰を下している。スコテがギデオンに従わなかったのは、この戦いに勝算があるかどうかわからなかったからなのだろう。ギデオンは確かに大勝利を収めたかもしれないが、ミディアン人の王たちはなお数万の兵を有しており、再武装をして反撃してくる可能性もあった。日和見的な判断に終始し、この戦いが神から出たものであると受け止める力のないスコテの人々は、イスラエル12部族の結束を破壊するだけであった。彼らの悲劇を不信仰に留まった者に対する神の裁きと受け止めるか、ギデオンが勝利に驕ったとみるのか、解釈が分かれる。

2.個人崇拝に陥った晩年のギデオン

・大勝利をおさめたギデオンに、人々は「王になって自分たちを治めてほしい」と要請するが、ギデオンはこれを断る。
−士師記8:22-23「イスラエルの人はギデオンに言った『ミディアン人の手から我々を救ってくれたのはあなたですから、あなたはもとより、御子息、そのまた御子息が、我々を治めてください』。ギデオンは彼らに答えた。『私はあなたたちを治めない。息子もあなたたちを治めない。主があなたたちを治められる』」。
・イスラエルを治められるのは主だ。サムエル記の主は、預言者サムエルに「王を求める人々は私を拒否している」言われている。
−1サムエル8:7「主はサムエルに言われた『民があなたに言うままに、彼らの声に従うがよい。彼らが退けたのはあなたではない。彼らの上に私が王として君臨することを退けているのだ』」。
・ギデオンは本当に主の支配を求めていたのか。戦利品の金を求めるギデオンの態度はそれを疑わせる。
−士師記8:24-26「ギデオンは更に、彼らに言った『あなたたちにお願いしたいことがある。各自戦利品として手に入れた耳輪を私に渡して欲しい』。敵はイシュマエル人であったから金の耳輪をつけていた。人々は『喜んで差し上げます』と答え、衣を広げて、そこに各自戦利品の耳輪を投げ入れた。彼の求めに応じて集まった金の耳輪の目方は、金千七百シェケルで、そのほかに・・・飾り物があった」。
・集まってきた金は総量20キロにも達した。ギデオンはそれを用いて、大祭司の衣服であるエフォドを作った。王にならなかったが、ギデオンは個人崇拝を求めた。ここからギデオン一族の堕落が始まった。
−士師記8:27「ギデオンはそれを用いてエフォドを作り、自分の町オフラに置いた。すべてのイスラエルが、そこで彼に従って姦淫にふけることになり、それはギデオンとその一族にとって罠となった」。
・ギデオンは王になることを辞退したが、実際には「王のような生活」を貪った。晩年の驕りが息子アビメレク(訳すると「わが父は王」)の暴挙(兄弟を殺して王になっていく、9章参照)を生んでいく。
−士師記8:29-31「ヨアシュの子エルバアルは、自分の家に帰って住んだ。ギデオンには多くの妻がいたので、その腰から出た息子は七十人を数えた。シケムにいた側女も一人の息子を産み、彼はその子をアビメレクと名付けた」。

3.士師記8章が教えるもの

・ギデオンは、王になることを拒否したが、金を求め、集められた金の目方は1700シェケル、約20圓梁舂未龍發任△辰拭ギデオンは、それでエポデ(大祭司の装束の一部、胸当て)を作った。彼の目的は、自分が神に従って勝利を得たことを記念することだったろう。しかしそれが罠となった。人は成功すれば驕り、やがては自分が正しいと思うことをし始める。そこに世の乱れが生じてくる。士師記が教えるのは、主の言葉に従って戦った人もやがては堕落する事だ。信仰は主の名を呼び続けない限り、堕落していく。
−士師記21:25「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれ自分の目に正しいとすることを行っていた」。
・この物語は、歴史は誰が支配しておられるのか、人間か神かを問いかける。歴史の主体が人であればそこは弱肉強食の力の世界になる。歴史の主体が神であれば、そこにおいては委託と正しさが求められる。
―申命記8:17-18「あなたは『自分の力と手の働きで、この富を築いた』などと考えてはならない。むしろ、あなたの神、主を思い起こしなさい。富を築く力をあなたに与えられたのは主であり、主が先祖に誓われた契約を果たして、今日のようにしてくださったのである」。
・旧約聖書は、歴史は神が導かれたものと語る。しかし現代の科学は、歴史は「人類進化の結果」だと語る。NHKスペシャル「人類誕生」では、進化の過程を次のように説明する。「およそ700万年前にアフリカで誕生した人類は、その後、いくつもの種に枝分かれし、誕生と絶滅を繰り返しながら進化してきた。最新の研究によれば、分かっているだけでも20種もの人類が地球上に暮らしていたと考えられている。時には複数の人類種が住み分けて共存し、あるいは熾烈な生存競争を繰り返していたという。そして、その進化のバトンを受け継ぐ最終ランナーとして登場したのが、我々ホモ・サピエンスだ。やがてほかの人類は全て絶滅し、ホモ・サピエンスは地球上で唯一の人類として生き残った」。このような科学における説明を信仰者はどう聞くべきなのだろうか。一つの回答が下記にある。
−英国国教会セットフォード司教「もし『進化』が…物事を説明するための世界観にまで高められるならば、聖書的な信仰とは真っ向からぶつかることになる。しかし、『進化』が科学的な生物学上の説明に留まるならば、創造主の存在を信じるキリスト教信仰が示唆するものと、神が創造の過程において生物学レベルで用いられた方法を科学的に説明することの間に、摩擦を覚える理由は何もないだろう」。
・世界的なベストセラーになった「サピエンス全史」を書いたユヴァル・ノア・ハラリは、宗教は人類が造った虚構に過ぎないと語る。
−ノア・ハラリ、インタビューから「生きることの意味を求めると、人はなにかしら「物語」を語ろうとします。ホモ・サピエンスは、物語を語る種なのです。物語を通して考え、この世は物語のように展開するものだ、と。英雄がいて、悪者がいて、対立があり、解決があり、クライマックスがあって、そしてハッピーエンドがある。人間は「人生の意味を理解するには、この世界に関する物語を知り、そこでの自分の役割を知る必要がある」と考えがちです。けれども、この世界は物語ではありません。この世界に脚本はありません。そして私には、演じるべき役もないのです。人々がこの世界に関して語る物語のすべては、ユダヤ教も、キリスト教も、イスラム教の物語もすべて、人間が考えたフィクションにすぎません。」
・これに対して牧師の鍋谷仁志は「無信仰の塊の本を読んで、信仰の意味が教えられた」と応える。
−鍋谷仁志「地上の信仰が、目に見える信仰のあり方が、他の宗教やイデオロギーやあらゆる価値と、こうして相対化された説に触れて、かえって徹底的に主にある信仰が、より鮮明に浮かび上がってきたのである。今、教会の連続説教のために読んでいる注解書に、不信仰の信仰、というような言葉がよく出てくるが、その意味がより深くわかったような気がした。貴重な経験であった。」