1.32,000人から300人へ

・ギデオンがミディアン人と戦うために角笛を吹くと、ギデオンの元に32,000人の人が集まった。敵は13万人を超えていた(8:10)。ギデオンは3万人でも少ないと感じていたが、主はこの3万人を、「多すぎるから減らせ」と言われた。
−士師記7:1-3「ギデオンと彼の率いるすべての民は朝早く起き、エン・ハロドのほとりに陣を敷いた。ミディアンの陣営はその北側、平野にあるモレの丘のふもとにあった。主はギデオンに言われた『あなたの率いる民は多すぎるのでミディアン人をその手に渡すわけにはいかない。渡せば、イスラエルは私に向かって心がおごり、自分の手で救いを勝ち取ったと言うであろう。それゆえ今、民にこう呼びかけて聞かせよ。恐れおののいている者は皆帰り、ギレアドの山を去れ』。こうして民の中から二万二千人が帰り、一万人が残った」。
・3万人が1万人になった。これはギデオンには失望の出来事だったと思われる。祖国防衛のために集まったのに、本音では戦いたくないと思う人が三分の二もいた。3万人でも足らないのに今は1万人になってしまった。落胆するギデオンに、主はさらに「1万人でも多すぎるから、減らせ」と求められる。
−士師記7:4「主はギデオンに言われた『民はまだ多すぎる。彼らを連れて水辺に下れ。そこで、あなたのために彼らをえり分けることにする。あなたと共に行くべきだと私が告げる者はあなたと共に行き、あなたと共に行くべきではないと告げる者は行かせてはならない』」。
・1万人の人が試みに会わせられる。主は水を手ですくった300人だけを残せと言われた。彼らは水を飲みながらも周囲から目を離さなかった。戦う準備が出来ている者だけが残された。
−士師記7:5-7「彼は民を連れて水辺に下った。主はギデオンに言われた『犬のように舌で水をなめる者、すなわち膝をついてかがんで水を飲む者はすべて別にしなさい』。水を手にすくってすすった者の数は三百人であった。他の民は皆膝をついてかがんで水を飲んだ。主はギデオンに言われた『手から水をすすった三百人をもって、私はあなたたちを救い、ミディアン人をあなたの手に渡そう。他の民はそれぞれ自分の所に帰しなさい』」。
・ギデオンの下に集まった3万人は烏合の衆だった。彼らが訓練された13万人の軍勢に正面から立ち向かっても勝ち目はない。そのため、ギデオンは主の指示に従い、精鋭の1万人を残し、さらにその中から300人の奇襲部隊を選んだ。勝負を決するのは人数ではなく、戦いの勇気だ。相手を奇襲するためには迅速に動ける少数者がいればよいことにギデオンは気づかされる。

2.主共にいませば

・それでもギデオンは不安だった。ギデオンは、「すぐに下れ」という主の命令には従わない。しかし、「敵を視察してみよ」との命令には従い、敵陣に忍び寄る。彼が見出したものは、ギデオンを恐れる敵の姿だった。
−士師記7:9-14「その夜、主は彼に言われた『起きて敵陣に下って行け。私は彼らをあなたの手に渡す。もし下って行くのが恐ろしいなら、従者プラを連れて敵陣に下り、彼らが何を話し合っているかを聞け。そうすればあなたの手に力が加わり、敵陣の中に下って行くことが出来る』・・・ギデオンが来てみると、一人の男が仲間に夢の話をしていた『私は夢を見た。大麦の丸いパンがミディアンの陣営に転がり込み、天幕まで達して一撃を与え、これを倒し、ひっくり返した。こうして天幕は倒れてしまった』。仲間は答えた『それは、イスラエルの者ヨアシュの子ギデオンの剣にちがいない。神は、ミディアン人とその陣営を、すべて彼の手に渡されたのだ』」。
・「パンが天幕を倒す」、農耕の民イスラエルが遊牧の民ミディアンを倒すとの意味であろう。ギデオンは勝利を確信し、敵陣に夜襲をかけ、敵は総崩れになった。
−士師記7:20-22「彼らは角笛を吹き、持っていた水がめを砕いた。三つの小隊はそろって角笛を吹き、水がめを割って、松明を左手にかざし、右手で角笛を吹き続け、『主のために、ギデオンのために剣を』と叫んだ。各自持ち場を守り、敵陣を包囲したので、敵の陣営は至るところで総立ちになり、叫び声をあげて、敗走した。三百人が角笛を吹くと、主は、敵の陣営の至るところで、同士討ちを起こされ、その軍勢はツェレラのベト・シタまで、またタバトの近くのアベル・メホラの境まで逃走した」。
・平家の大軍が水鳥の音に驚き、敗走した富士川の戦いに似ている。戦いは数ではなく勢いだ。主が自分たちと共におられると信じるとき、少数のものでも大軍を破ることが出来る。
−申命記20:2-4「戦いの場に臨んだならば、祭司は進み出て、民に告げ、次のように言わねばならない『イスラエルよ、聞け。あなたたちは、今日、敵との戦いに臨む。心ひるむな。恐れるな。慌てるな。彼らの前にうろたえるな。あなたたちの神、主が共に進み、敵と戦って勝利を賜るからである』」。

3.少数者を用いられる主

・奇襲作戦は成功し、敵は総崩れになった。織田信長が桶狭間で今川義元を打ち取った時、700名の奇襲兵で25,000人の今川軍を打ち破ったと言われている。戦いは数ではない。それは教会も同じではないか。教会は福音を伝えるために建てられている。重要なのは福音を伝えることであり、教勢の拡大ではない。30人教会を50人教会、100人教会にするのが教会の目標ではない。共に働く少数の人がいればよい。イエスが7つのパンで5千人を養われた時、多くの民が集まった。しかし、イエスが「肉のパンではなく、霊のパンを求めよ。私を食べよ」と言われた時、多くは去り、12人のみが残った。教会も12人がいれば十分なのだろうか。
−ヨハネ6:66-69「弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。そこで、イエスは十二人に『あなた方も離れて行きたいか』と言われた。シモン・ペトロが答えた『主よ、私たちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じ、また知っています』」。
・イエスは伝道活動を故郷ガリラヤで始められた。病人をいやし、教えをわかりやすく説かれたので、イエスが行かれる所には多くの群集が集った。イエスがガリラヤ湖のほとりで5千人にパンを与えられた時が人気の絶頂期で、人々はイエスを王にしようとした(ヨハネ6:15)。しかし、「命のパン」の出来事を契機に人々はイエスにつまずき、離れていく。人々は5つのパンで5千人を養われたイエスの力に驚き、もっとパンを欲しいと求めてきた。イエスはその人々に言われた「朽ちるパンではなく、朽ちない命のパンを求めなさい。私こそが命のパンであり、私の肉を食べ、私の血を飲む者は永遠に生きる」(6:55)。多くの人々が、イエスの言葉を聞いてつぶやき始める「実にひどい話だ。誰がこんな話を聞いていられようか」(6:60)。「このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった」(6:66)。
・イエスは弟子たちの多くが去っていくのをご覧になり、残った12人に問われる「あなた方も離れて行きたいのか」(6:67)。「去りたいなら行くが良い」とイエスは言われた。それに対して、ペテロが答える「主よ、私たちは誰のところに行きましょう。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じまた知っています」(6:68-69)。人々はイエスから何かを得るために、いやしや救いや栄光を得るために来た。そして、イエスがそれらのものを与えてくれないことがわかると、イエスから離れていく。しかし、この12人はイエスのもとに留まった。教会を形成するのはこの12人だ。
・イエスが処刑された時、弟子たちはイエスを見捨てて逃げたが、復活のイエスは弟子たちに現れ、一言も非難することなく、彼らに「私の羊を飼いなさい」と群れを託された。イエスの生前、弟子たちは本当にはイエスに従うことはできなかったが、この復活のイエスとの出会いを通して、十字架の場を逃げ出した弟子たちが、イエスのために死ぬ者と変えられていく。だからこそ弟子たちは「あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じまた知っています」と告白する。人は復活のイエスとの出会いを通して、つまずきを乗り越えて、信仰者として立てられていく。戦いの帰趨を決定するのは、3万人ではなく、300人だ。復活のイエスに出会った少数者である私たちが、この教会を形成していく。