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1.占領から土地の配分へ

・ヨシュア記1‐12章は土地の占領を記述し、13章以下はその土地の配分を記述する。13章以下がヨシュア記第二部である。13章は、「まだ占領すべき地は多く残されている」との言葉では始まる。
−ヨシュア記13:2-6「占領すべき土地はまだたくさん残っている。残っている土地は次のとおりである。ペリシテ人の全地域とゲシュル人の全域、エジプトの東境のシホルから、北はカナン人のものと見なされているエクロンの境まで。ここには五人のペリシテ人の領主の治めるガザ、アシュドド、アシュケロン、ガト、エクロンの人々がおり、アビム人の領土がその南にある。またカナン人の土地全域、シドン人のメアラ、アモリ人の国境アフェカ、更にゲバル人の土地、ヘルモン山のふもとバアル・ガドからレボ・ハマトに至るレバノン山東部全域、およびレバノン山からミスレフォト・マイムに至る山地の全住民、すべてのシドン人』」。
・この記事は、「ヨシュアはこの地域全域を獲得した」というヨシュア記11:23の記事と矛盾する。また士師記の記述とも矛盾する。イスラエルは遊牧民としてカナンの地に侵攻・定着し、全体の占領は、イスラエルが力をつけた段階で為されたと理解すべきであろう。
−士師記1:19「主がユダと共におられたので、ユダは山地を獲得した。だが、平野の住民は鉄の戦車を持っていたので、これを追い出すことはできなかった」。
・イスラエルはヨシュア記13:6-7を建国の基礎とするが、その地には既にカナン人、ペリシテ人が住んでいた。
−ヨシュア記13:6-7「私は、イスラエルの人々のために、彼らすべてを追い払う。あなたはただ、私の命じた通り、それをイスラエルの嗣業の土地として分けなさい。この土地を九つの部族とマナセの半部族に嗣業の土地として配分しなさい。ヨルダン川から西の海まで、海沿いの地域をこれに与えなさい」。
・現代のユダヤ人は安住の地を求めてカナン(パレスチナ)への移住・入植を続け(シオニズム運動)、1948年にイスラエルを建国したが、それは住む所を追われたパレスチナ人が難民となることを意味した。1993年オスロ合意により「イスラエルとパレスチナの共存」が決議されたが、その後の和平は停滞している。改めて、ヨシュア記・士師記によってイスラエルはどのようにしてその地に定住したのかの読み直しが必要であろう(巻末に中澤英雄「パレスチナ問題と宗教」を掲載するが、信仰を離れて純歴史的に判断する限り、イスラエルの主張は肯定が難しい)。

2.ヨルダン川東岸の占領地の配分

・東岸地域の土地の配分が先に記述される。ルベン族には東岸南部が配分される。ルベンはヤコブの長子であったが、父の妻を犯す罪をしたため、呪われている。彼らはやがて滅亡し、その領土はガド族に吸収されていく。長子でさえ、罪を犯せば廃嫡され、与えられた土地も取り上げられる。
−創世記49:3-4「ルベンよ、お前は私の長子、私の勢い、命の力の初穂。気位が高く、力も強い。お前は水のように奔放で、長子の誉れを失う。お前は父の寝台に上った。あの時、私の寝台に上りそれを汚した」。
・ガドには東岸中部の地が配分された。ガドはその地を守った。
−申命記33:20-21「たたえよ、ガドの土地を広げられる方を。ガドは雌獅子のように待ち伏せ、獲物の腕や頭を引き裂く。彼は自分のために最上のものを選び出した。指揮者の取り分がそこにあったからだ」。
・マナセ族には東岸北部が与えられた。
−ヨシュア記13:30-31「彼らの領域は、マハナイムからバシャン全域、すなわちバシャンの王オグの王国全体、およびバシャンにあるヤイルの集落のすべてである六十の町、ギレアド地方の半分、バシャンのオグ王国の町アシュタロト、エドレイに及んだ。これは、マナセの子マキルの子孫すなわちマキルの子孫の半分が氏族に従って所有した。」。
・レビ人には土地は与えられなかった。彼らは神殿に奉仕するものであり、その嗣業は主であるとされる。
−ヨシュア記13:33「モーセはレビ族に対しては嗣業の土地を与えなかった。主の約束された通り、彼らの嗣業はイスラエルの神、主御自身である」。
・このレビ人の生き方が、私たちの行き方である。「土地を持たないでどうして生きていけるのか、蓄えのないまま老後を迎えるのは愚かだ」という指摘に我々は答える。「必要なものは主が与えて下さる」。
−マタイ6:31-32「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである」。
・出来ることは自分で行う、それ以上のことは養われる父に委ねる。それがキリスト者の行き方である。
−申命記8:3-4「主はあなたを苦しめ、飢えさせ、あなたも先祖も味わったことのないマナを食べさせられた。人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためであった。この四十年の間、あなたのまとう着物は古びず、足がはれることもなかった」。

3.ヨシュア記13章参考資料〜ヨシュア記を別の視点で見る
「パレスチナ問題と宗教」中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)

・パレスチナ問題が解決困難な原因の一つは、宗教が関わっていることである。この土地は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの宗教の聖地である。宗教が関与しなければ、領土問題は、ユダヤ人とパレスチナ人の間で、双方が折れ合い妥協する形での解決案も可能かもしれない。しかし、宗教が関わると、そういう現実的解決は困難になる。イスラエルに大きな影響力を持っているアメリカはキリスト教国であり、政権担当者は国内の宗教勢力の意向を無視することができない。原理主義的キリスト教右派は、キリスト教シオニズムとも呼ばれるほどイスラエルに肩入れしている。それは、彼らが聖書の黙示予言を信じ、イスラエルの建国がイエス・キリストの再臨の前段階であると信じているからである。
・パレスチナ問題は、後にパレスチナ人と呼ばれることになるアラブ系原住民が住んでいたパレスチナの土地に、ヨーロッパから多数のユダヤ人が乗り込んできて、イスラエルを建国したことによって生じた。ユダヤ人はその離散の歴史の中で、常にシオン=パレスチナへの帰還を夢見てきた。彼らがその土地に「憧憬」をいだくことは十分に理解できる。しかし、ユダヤ人のパレスチナへの土地請求権は、外部世界に対してはどのようにして正当化されるのであろうか。
・パレスチナは無人の土地ではなかった。そこにはアラブ人が定住し、生活していた。ユダヤ人がその土地から最終的に追放されたのは、西暦135年のバル・コホバの反乱の失敗の時である。ローマ帝国はこの反乱を徹底的に弾圧し、ユダヤ人がパレスチナに居住することを禁じた。この時以来、ユダヤ人の世界離散=ディアスポラが始まった。したがって、ユダヤ人は少なくとも1800年間パレスチナから離れていたわけである。「1800年前までこの土地は自分たちの土地であったからこの土地をよこせ」、という主張は、正当化の根拠としてはどう見ても無理がある。
・旧約聖書には、神ヤハウェがイスラエル人に土地を与えるという約束が書かれている。創世記15章で神はイスラエル民族の祖アブラハムに、「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで、カイン人、ケナズ人、カドモニ人、ヘト人、ペリジ人、レファイム人、ギルガシ人、エブス人の土地を与える」とある。また、出エジプト記6章で神はモーセに、「私はまた、彼らと契約を立て、彼らが寄留していた寄留地であるカナンの土地を与えると約束した」と述べている。
・だが、このヤハウェの約束は実に奇妙な約束なのである。この奇妙さを暴露しているのが、長谷川三千子『バベルの謎、ヤハウィストの冒険』(中央公論社、1996年)の一節である「ヤハウェがアブラハムに与えると約束した土地は、すでに別の民族が住んでいた土地であった。つまりヤハウェは、他人の土地をアブラハムに与えると約束したわけである。この約束は、ヤハウェが、イスラエル人の神であると同時に、全地の神でもあるという「一風変わった二重性格」によって担保されている。つまり、全地の神であるヤハウェがどの土地をイスラエル人に与えようが勝手というわけである。この神の約束に従って、イスラエル民族は他の民族の土地を侵略し、略奪した。その結果、イスラエルの建国にまつわる根本的な「暴力」が、いわば「正々堂々と公認されることになった」。
・イスラエル人が定住する前に、カナンの地に様々な民族が住んでいた。その土地はまさに太古の時代においても諸民族の係争の地であった。その土地を最終的に奪ったイスラエル人が、それを神に与えられた土地として他の民族に主張するために作り上げたのが、聖書の中の「神の約束」という物語であり、「神の約束」とは、異民族殺戮・土地略奪を伴った建国を正当化するためのフィクションではなかったのか。
・ヨシュア記には、イスラエルが神の命令に従ってカナンの地の異民族を皆殺しにしたことが記されている。異民族殺戮=民族浄化を正義と認める「神」は恐ろしい神である。それは民族的エゴイズムの神格化にほかならない。このように、イスラエル民族は太古の土地略奪を「神の約束」として正当化したのであるが、現代においても宗教的シオニストは、その土地の再奪略を、聖書を根拠に正当化している。歴史は繰り返すようである。

4.「神の名による暴力か〜ヨシュア記問題」、WCCが会議開催(2012年3月6日、クリスチャントゥデイ)
 
・2012年2月23日から27日にかけて、ドイツホーフハイマー福音アカデミーにおいて世界教会協議会(WCC)、パレスチナ-イスラエルエキュメニカルフォーラムがドイツ福音教会(EKD)およびクールヘッセン-ウォルデック福音教会と合同で会議を開催した。同会議には南北アメリカ、アジア、アフリカ、欧州および中東域から45名のキリスト者、ユダヤ人学者、神学者らが参加し、「神の名による暴力か〜変遷する背景下におけるヨシュア記」というテーマで議論がなされた。会議では、現代社会におけるヨシュア記の解釈や適用法に焦点が置かれ、「もしヨシュア記の御言葉が現代社会でそのまま適用されれば、危険な結末をもたらすことにつながる」と指摘された。 会議の開催期間中、会議のための祈祷会も開催され、ヨシュア記の解釈学的、歴史的、現代的側面を考慮した講義と聖書勉強会も開催された。
・これまでの歴史上において、征服や搾取の戦略を正当化するためにヨシュア記の御言葉を引用するという事例が見られてきた。16世紀にはヨシュア記の引用について神学的な議論がなされ、アメリカ大陸の植民地化およびカナン人の子孫の呪われた血統(創世記9章25節)に対する差別を正当化することにつながった。現在でもヨシュア記は一部キリスト者やユダヤ人学者によって、イスラエルのパレスチナ領土占領政策を正当化する根拠として用いられているという問題が残されている。
・2008年スイスベルン州で開催された「約束の地」に関するWCCの神学会議において、「聖書は侵略や現代社会に生じる出来事を正当化するための単純な賛辞を述べるために用いられてはならない。イスラエル-パレスチナ紛争における『聖戦』を社会政治的、経済的、歴史的な枠組みを無視して正当化することがあってはならない」との結論が出されていた。
・今回の会議においては、ヨシュア記の言葉の解釈について、どのような背景からアプローチされるとき、その解釈が正当とされ得るのかが議論された。参加者らはヨシュア記の言葉が正義を基盤に置いて解釈されるときに、正当化され得ることに同意した。会議に参加したパレスチナのキリスト教徒は、ヨシュア記の解釈が「権力のある政党がパレスチナ領土を占領する政策を正当化するのに用いられてきた」ことによるイスラエル-パレスチナ和平にもたらしてきた問題を指摘し、「パレスチナのキリスト教徒は自らの土地からだけではなく、聖書の解釈によっても疎外化されてきた」と述べた。
・パレスチナのローマカトリック教会司祭でベツレヘム大学芸術科学学部学長を務めるジャマル・カデル博士は、「私たちは毎日のように暴力問題に直面しています。パレスチナ人は『約束の土地から排除する』という政策の下、半永久的な暴力問題に苦しみ続けています。この問題についてこの場で議論し、現状に対する問題意識を啓発することができたことに感謝します」と述べている。会議では20世紀を代表するドイツ人の神学者ディードリッヒ・ボンヘッファーの聖書研究についても参照され、「聖書の御言葉は抑圧されている人々が解放され、活動的な使者となれるように解釈されるべきである」という結論が出された。
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