すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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今週の招詞(2008年11月2日説教から)

2008-11-2
「主は、私たちのために死なれましたが、それは、私たちが、目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです。ですから、あなたがたは、現にそうしているように、励まし合い、お互いの向上に心がけなさい」
(汽謄汽蹈縫5:10−11) 

パウロは死を眠りと表現します。「目覚めていても眠っていても」、生きていても既に死んだとしても、との意味です。眠るということは「目覚めて起きる時が来る」ことを意味しています。それが復活です。

イエスが十字架から復活されたことを信じることは、私たちも死からよみがえることを信じることです。私たちの人生が死によって切断されるのではなく、死を通して続くことを信じることです。それは根拠のない信仰ではありません。イエスが十字架から復活されたことが確実であれば、私たちが死から復活することもまた確実なのです。

死によって人生が終わらないことを信じる者は、この世で成功し、人から賞賛されることが人生の目標ではなくなります。死が終わりでないことを信じる者は、志半ばで病に倒れて死んでいかれた人々の人生も無意味ではなかったと信じることが出来ます。

このような信仰を与えられた者は、病気で苦しんでいる人々や、親しい人を亡くして喪失感に悩んでいる人々を助けることが出来ます。私たちはどう生きるべきかが既に解決済みであるゆえに、他者をどう慰め、どう励ますかが私たちの人生の主題になるのです。

説教

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