すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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2009年6月7日説教から

2009-6-7
「二人または三人が私の名によって集まる所には、私もその中にいるのである」(マタイ18:20)

復活のイエスは弟子たちに宣教の使命を与えられ、最後に言われました「私は世の終わりまでいつもあなたがたと共にいる」。「共にいる」、インマヌエルです。イエスはいつまでも共にいると約束され、その約束として聖霊が与えられ、私たちを導いて下さいます。イエスは共にいて下さる、それを具体的に言い表したのが、「二人または三人が私の名によって集まる所には、私もその中にいる」との言葉です。

私たちが主日礼拝をささげる時、イエスはそこにいて下さる。私たちが祈祷会で祈る時、イエスも共に祈って下さる。主の晩餐式でパンとぶどう酒をいただく時、イエスのこうむられた痛みが私たちの痛みとなっていく。イエスは宣教の言葉を通して、晩餐式を通して、臨在されると聖書は教えます。しかし、私たちはその臨在を感じることが難しいのが現実です。私たちは説教を聴きながら、世の思い煩いを考えます。晩餐式のパンとぶどう酒をいただいても、心に感動を感じるわけでもありません。何かが足らない、行為が足りないのです。

インマヌエルとは「共にいて下さる」と言う意味ですが、「本当にイエスは共にいてくださるのか、臨在を感じることが出来ない」とぐちをこぼすのを止めて、私はどうしたら「あの人のインマヌエルになる」ことが出来るだろうかを考え、実行していく時に状況は変わっていくことをマラキ書3:10は示唆します。
「十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、私の家の食物とせよ。こうして私を試してみよ。・・・私があなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかを試してみよ」(マラキ3:10)

説教

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