すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

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2009年4月5日説教から

2009-4-5
「私は思った、私はいたずらに骨折り、うつろに、空しく、力を使い果たした、と。しかし、私を裁いてくださるのは主であり、働きに報いてくださるのも私の神である」(イザヤ49:4)

イエスがいつ十字架で死なれたのか、歴史は記録していません。ローマ支配下にあって騒乱罪で処刑される者は数多くあり、イエスの処刑もその一つにしか過ぎず、特段の歴史的重要性は無かったからです。この世的に見れば、イエスの死は意味のない、無駄な、愚かな死でした。

しかし私たちはイエスの復活と弟子たちの証しを通して、その死が無駄ではなかった、「一粒の麦が地に落ちて死んだ」故に、私たちは救われた事を知っています。

時代の中で華やかな脚光を浴びる人はいます。能力に恵まれ、指導者として成功する人もいます。しかし、多くの人は名も知られずに生き、死んでいきます。私たちの人生は他者に評価されることによって意味が生じるのではなく、私たちの人生は、やるべきことを黙々として行い、負うべき荷を担う人生でよいのではないかとイエスは語りかけられます。あえて言えば、「私たちの人生はこの世で完成する必要はない」のです。

イエスの人生もこの世で完成しなかった。イエスは十字架で罪人として死んで行かれた。しかし神はそのイエスを「引き揚げて」下さった。そうであれば無駄な、無意味な人生などない。「いたずらに骨折り、うつろに、空しく、力を使い果たした」としか思えない人生であっても、評価してくださる方は、私たちが一生懸命に生きたことを知っていてくださる。それで十分ではないかと思います。

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